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58本目・『0課の女 赤い手錠』その第四回:杉作J太郎のDVDレンタル屋の棚に残したい100本の映画…連載104

連載
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半年か一年か、毎週収録があって番組は終わった。

終わったとき、番組の予算がかなり残っていた。

せっかく私がヒップホップに明るくなってきたからというので私のラッパーデビューカセットテープを作ることになった。これはわりと短期間でササッと作った。トラックにライムを載せたのではなかったように思う。ただ適当に私が思いついたことをしゃべりまくり、そこにトラックを載せた。私自身の手間もあまりなく、ま、らくちんだった。

で、このカセットテープを都内のCDショップ等で無料配布した。無料だからあたりまえではないかと思うのだがアッという間に売り切れた。売ってないのか。アッというまに無料で持ち帰られた。

ところがそのカセットテープが高値で売り買いされている、という話になっていた。かなりの高額だった。いっぱいもらっとけばよかったとチラリ思ったが、ま、売りに出すのも面倒なのでいらないのだが。

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そこでPヴァインでCDを作ろうという話が出てきた。

しっかりしたものを作って売ろうじゃないかということになった。

カセットテープのときが簡単だったので私は気楽に構えていたが、いや、まったく違った。

カセットテープのときは適当にしゃべっただけだがラップの歌詞にはいろいろと約束事やルール、作法、あるいはイズム、なんか、いろいろあった。

私はライムを作り始めたのだがこの指導、コーチをカセットテープのときに共演したダースレイダーさんが担当した。ていねいでやさしい教え方だったがもう何度やめようと思ったことか。たいへんであった。

宇多丸さんも途中からコーチに加わり、なんかたいへんすぎて記憶があまりない。私もまだ若かったのでダースレイダーさんや宇多丸さんに反撃したり悪い態度をとったりしていたのではないだろうか。すみません。

実年齢40をすぎていたがペーペーからの修業が始まった。

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