この投稿はブライトンアカデミーが参加するプレミアリーグのクリスマス休戦トーナメント開催を祝しておこなわれたもの。
クリスマス休戦トーナメントは、第一次世界大戦中に戦場で対峙していたドイツ、イギリス、フランス、ベルギーの兵士がクリスマスに休戦して中間地帯でクリスマスを互いに祝い、ドイツとイギリスがサッカーの試合を行ったという歴史上の事実にちなんだもので、U-12の選手達が試合を通して歴史への理解を深めることなどが目的とされている。
そこでなぜ、小野田の写真が使われたのかがさっぱりわからない。第一次世界大戦と小野田は関わりがないし、意味が本当にわからない。誰がどういう目的で小野田をえらんだのかわからないし、非常に不可解である。
中国側の反応は「小野田寛郎」という人物がどうこうというより、「旧日本陸軍」の軍人をカードになるような名選手、ようするに英雄のように扱ったと解釈できるような時点で起こるものだっただろう。BBCによるとクラブ側は中国でそのような反応が起こることを想定しておらず、故意ではなかったとしているが、まあ、こうなるだろうなと思う。
帰国後、国民的な英雄としてもてはやされる一方で批判的にみられることも多かった小野田。その実像は軍人の鑑とも軍国主義の亡霊とも違うものだったような気がする。
ルバング島の日本軍は飛行場と桟橋を爆破する任務を受けていたが、米軍の圧倒的火力の前に敗退し、山中に撤退。終戦を迎える。
しかし、1945年8月以降も小野田は米軍からの敗戦通告を信ぜず、他の兵士が続々と投降していくなか、投降の呼びかけを無視して島田庄一伍長、小塚金七一等兵赤津勇一一等兵らと共にゲリラ活動を続けるが、赤津がグループから離れ1950年にフィリピン警察に投降。島田が1954年、小塚が1972年に死亡するも、小野田は29年間にわたってジャングルに潜伏し、戦闘を続けたとされる。
フィリピンは戦前アメリカの植民地支配をうけアメリカ領に属していたが、1946年にマニラ条約で独立国となったが、協定により米軍が駐留しつづけ、国内には米軍の軍事施設があり、島にも米軍のレーダー局があり、それに対して度々襲撃を繰り返したという。
島田、小塚の死は米軍との戦闘によるものではない。フィリピン警察との銃撃戦によるものだ。
小野田らは島での潜伏期間の間、住民に対して窃盗、略奪、収穫物に対する放火を繰り返し、その際に住民を殺害することもあった。住人にとっては凶悪な山賊のような存在であり、警察隊がこれをとらえようとして動いていたのである。
