PR
PR

倉本聰と『昨日、悲別で』のこと:ロマン優光連載411

連載
連載
PR
PR

『昨日、悲別で』は1984年の作品。日本テレビ系の民放はあったので、普通に正規の時間に放送しており、毎週金曜日に中学受験を前にした小学六年生の自分は母と一緒にこのドラマを見ていた。

架空の北海道の寂れた炭鉱町・悲別。そこからダンサーを目指して上京した若者・リュウ(天宮良)があるオーディションで幼なじみのおっぱい(石田えり)と再会し互いにひかれあうようになる。そんな二人と悲別に残る駅長(布施博)や与作(梨本謙次郎)といった幼なじみ、リュウの母(五月みどり)やその恋人だが他に家庭を持つ地元の大物(大滝秀治)、悲別ロマン座という地元の劇場・映画館を経営していた与作の父(千秋実)といった人々の交流を描いた作品だ。

主人公のナレーションが挿入される倉本スタイルは本作でも効果的に使われている。

巨乳だから「おっぱい」というあだ名がついて面と向かってよばれているのは、当時の自分もさすがにどうだろうと思っていた。

前年に映画『フラッシュダンス』のヒットがあり、プロダンサー志望者の恋と青春を描き、それ風の衣装(当時流行ってた)が出てきたり、ダンスシーンも豊富な本作は倉本聰版『フラッシュダンス』と言えるかもしれない。

しかし、『昨日、悲別で』は圧倒的に切なく辛気臭い。

OPの曲もEDに流れるかぐや姫ヴァージョンの「22才の別れ」も切なく、物悲しい。

結婚相手がおならをしたからという理由で布施博演じる駅長が結婚式直前に逃亡したり、与作の父が亡くなったところも記憶にあるのだが、圧倒的に主役の二人のなんか不器用な付き合い方が強く印象に残っている。故郷を離れたものと故郷に残った物の話というのは当時の自分にとって理解の範疇外だったのだと思う。

PR

何より「22才の別れ」の力が強すぎる。歌詞とメロディが強すぎて物語を支配してしまっているのだ。

この曲がかかることで二人の行く末には別れが待っていると言う事が毎回意識させられ、まだ恋愛とかはしたことがない子供だった自分の喪失への予感に切ない気分にさせられていた。

どこか頼りない感じの天宮良とどこか影のある石田えりの二人は子供心に幸せにならなそうだと思っていた。改めて当時の石田の写真を見ると本当に魅力的だ。なんか強そうなところもいい。本来だったら自分の顔の好みから外れるタイプの顔のはずなのだけど、定期的にこういうタイプの顔つきの女性にひかれることがあり、このドラマの影響を感じる。

おっぱいが夢を追いながら生活するために愛人バンクに登録して政治家とパパ活をしているのが途中で分かったり、その政治家の収賄事件におっぱいが関わっていたために晒されることになったり、二人がどうなってしまうのかが毎回気になってしょうがなかったものだ。

あらかじめ別れが運命づけられているような恋愛ものを好む傾向が自分にはあるのだが、『昨日、悲別で』がそういった嗜好の土台になっており、私という人間を形成した作品の一つと言える。

タイトルとURLをコピーしました