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渋沢栄一と竹中平蔵の醜い共通点

社会
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渋沢栄一が時ならぬブームとなっています。しかし渋沢は、新1万円札の顔になるような立派な人物ではありません。偉人のように思われていますが、その本質はパソナ会長の竹中平蔵そっくりの「政商」だからです。
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新1万円札の顔に相応しくない素顔

新1万円札の顔にもなったりと、いまやちょっとした渋沢ブーム。しかし、正直いって渋沢栄一がもてはやされる理由がさっぱりわかりません。
なぜなら、渋沢は多くの人が想像しているような立派な人間ではないからです。 たとえば、渋沢栄一と聞いて真っ先に思い浮かぶのが大正12年(1923年)に関東大震災が起きたときの天罰発言です。約10万人の人々が亡くなったというのに、渋沢は「天が国民を諌めるために震災を起こした」などとひどいことを言い放っているんですよ。 震災時にこんなイカれた発言をした著名人は、渋沢栄一のほかには東日本大震災のときの石原慎太郎と阪神淡路大震災のときのカダフィ大佐の2人しかいません。
つまり渋沢は、問題発言の申し子である石原慎太郎や「中東の狂犬」と呼ばれたリビアのカダフィ大佐と同レベルのトンデモということになるわけです。
発言の背景にあったのは大正デモクラシーです。当時の日本では藩閥政治からの脱却により中間層の民衆が誕生しました。彼らが浮かれて遊び呆ける姿を年老いた渋沢栄一は苦々しく思い、それが天罰発言につながったとされています。
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しかし、日本が近代化へと突き進む過程で誰よりも派手に遊びまくっていたのは、資本家としてボロ儲けしていた渋沢栄一自身なんですよ。じつは、渋沢は芸者や遊女を買って遊ぶのが何よりも好きで、当時の花柳界で1、2を争うくらい女遊びに金を使いまくることで有名だったんです。 実際、渋沢栄一には20人の子どもがいましたが、その母親の大半は妾でした。複数の妾を囲うだけでなく、女中にまで手を出していたそうですから、その性欲は尋常ではありません。
渋沢栄一は経済界に『論語』の道徳的規範を求めたことでも知られますが、渋沢の妻は「『論語』とはうまいものを見つけたよ。邪淫を禁じる『聖書』だったらあの人は守れっこない」と呆れていたほどです。
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