竹中平蔵の場合、新卒で就職した日本開発銀行時代に米国に留学し、ハーバード大の客員研究員として行った研究が認められて大蔵省に出向したのが始まりです。このときの米国留学で学び、のちの構造改革に生かされる理論が大蔵省の大物官僚の目に止まり、この官僚を通じて小泉純一郎をはじめとする政界人脈を広げていきました。
財務省(大蔵省)は日本の経済・金融政策の中心的存在です。第二次安倍政権を除けば、首相のブレーン役となる首相補佐官や秘書官といった官邸官僚もつねに財務省出身者でした。
旧大蔵省では1990年代後半に汚職スキャンダルやノーパンしゃぶしゃぶ事件が続き、それをきっかけに金融庁と分離されて現在の財務省になったんですが、不祥事が多いのはそれだけ大蔵省が力を持っていた証拠です。大蔵官僚と知り合いになればオイシイ思いができるからこそ、怪しげなバブル紳士がわんさか群がってきたんですよ。 それは明治初期も変わりません。渋沢栄一が大蔵官僚だったとき、予算の陳情のために西郷隆盛が自宅を訪ねてきたんですが、渋沢は政府高官だった西郷の間違いを指摘して叱り飛ばしているんですよ。それほど大蔵官僚というのは絶大な力をもっているんです。
渋沢栄一も竹中平蔵も大蔵省時代に政府や大物政治家との人的ネットワークをつくり、その人脈を退官後に活用することで政商となり得たんです。大蔵省という看板がなければ、国策に乗じて儲けることはなかなかできるものではありません。その意味でもこの2人は本当にそっくりです。
冷酷すぎる渋沢と竹中の人間性
さらに、もうひとつ2人の共通点を挙げるなら、それは渋沢栄一も竹中平蔵もびっくりするほど冷酷な人間ということでしょう。
冒頭で関東大震災が起きたときに渋沢栄一が大正デモクラシーへの反発から天罰だと発言したのを紹介しました。石原慎太郎も同じなんですが、大災害の発生時は社会の欠陥が露わになりがちなので、保守的思想の持ち主は国家権力の強化を言い出すものなんですよ。
国家の利益のためなら10万人の命を天罰のひと言で切って捨ててしまうんです。