当時歌舞伎町にあった日本最大のクラブ『CODE』では、毎月最終金曜日に『TOKYO GAY NIGHT』が行われ、若者に流行していた雑誌『men‘s egg』とコラボして人気モデル兼DJが出演するなど、一般のシーンにもゲイナイトは浸透していた。
そして毎月奇数月最終日曜日には『NEXT』、毎月偶数月最終日曜日には『FRIENDS』といったイベントが定期開催されており、ゲイたちは「出会い系ねるとん」に一喜一憂していたのだった。これは、フロアに好きな子がいたら、その子が胸に貼っている番号をカードに書き、相手が気に入れば返信カードをもらえる仕組みだ。欧米のゲイクラブカルチャーにはない日本独自の方式である。「1人で来ても2人で帰れる」というフライヤーの触れ込みは満更嘘ではなく、ガラケーのメアドを交換して後日デートをするカップルが続出していた。非モテの筆者はチャンスに恵まれなかったが。
確かに90年代には、とんねるずの石橋貴明氏によるキャラクター「保毛尾田保毛男」が放送されていて、それにショックを受けたLGBT活動家が2017年になってフジテレビに抗議をしたことはあったものの、そこだけに囚われていては全体としての微熱感を捉え損ねてしまう。日焼けサロン『チョコレートハウス』で肌を焼き、ギャル男の格好でパラパラを踊り、ねるとんでマッチングしなければ夜明けに10代20代で満員電車状態になる『Jスパーク』(その頃大人気だったハッテン場)に行って不特定多数の男とエッチを楽しむ―。ゲイが輝いていた時代。それが90年代だったといえる。
江口氏がパイオニアとして始めた巨大ゲイナイトは、男性同性愛者同士の「つながり」を提供し、生活を豊かにした。LGBT活動家による人権運動がゲイを楽にしたのではなく、「巨大ゲイナイト」というシステムの発明が大きかったのである。そして現代においては、ゲイの出会い系アプリがそれを代替している。アプリを開いてスクロールすれば、半径1キロ以内にいる何百人ものゲイの顔写真を見ることができる。孤独を抱えて部屋の片隅で体育座りをしていた時代とは違うのだ。
「実際には、90年代にゲイ雑誌『Badi』の登場もあって『ハッピーゲイライフを送る』がキャッチコピーになり、ゲイは楽しいといった一大ムーブが起こったのです」と、江口氏は語る。そして與氏に対して、「悲劇のヒロインを支持するのは、アライ(異性愛者のLGBT支援者)とかイデオロギーのある人ですよ。陰気で不細工な活動家ならば仕方ないですが、ゲイのリーダーになり得る人の根暗発言はゲイからは支持されないです。ゲイをカミングアウトするなら、ハッピーゲイライフを発信しないと」と、一般ゲイの目線から厳しく指摘する。そう、ゲイの本来の英語の意味は「陽気な」だ。