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LGBT活動家による歴史改竄を松浦大悟が解説

社会
性自認をカミングアウトしたAAA與真司郎氏。
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駒澤大学教授の山口浩氏によると、もともと60年代にスウェーデンのUllerstamがエスニックマイノリティになぞらえて初めて「性的少数者」の概念を提唱したとき、その中にはこれら性的嗜好に関する「少数者」も含まれていたという。

山口氏は《要するにいいたいのは、当初は含まれていたにもかかわらず、現在、多様な「少数者」の中で一部ないし全部の性的嗜好を除いているのは、「何を守るべきか」に関する意図的な選択だということだ》と問題点を浮き彫りにする。つまり、政治的な恣意性がそこに持ち込まれたということだ。

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性規範は時代によって変わる

セクシュアリティ規範は時代によってコロコロ変わる。ジャニー喜多川氏問題で積極的に発信している漫画家の小林よしのり氏は、《ジャニー喜多川がやっていた「美少年愛」という性癖は、「今ならもう許されることではないし、変質者と言うしかないが」、江戸時代なら咎められることはなかっただろう》とブログで論を展開する。そして《拒否することも可能、逃げることも可能、警察に訴えることも可能なら、強制性がなくなってしまう。唯一、強制性を訴えるなら、「グルーミング」しかないが、子供には「主体性」が全くないのか? 子供を預けた親にも「主体性」が全くないのか?》と、これまで子どもの性的自己決定権を訴えてきたリベラル派の矛盾をつくのだった。

批判にさらされながらも、小林よしのりはジャニー喜多川問題で持論を貫く。画像はニコニコチャンネル『小林よしのりライジング』より。

小林氏は、役者修業中で舞台に立つ前の10~17歳くらいの少年が体を売る江戸時代の「陰間茶屋」などを紹介しながら、男色が盛んだった薩摩が幕末においてお国の文化を中央に持ち込んだため、明治になって再び学生の寄宿舎で大流行した風習を解説する。こうした伝統の継承線がジャニーズ事務所にはあるという。そしてなぜ日清・日露戦争では慰安所がなかったのかを紐解く。それは、その頃までは男色が当たり前であり、慰安所を作る必要がなかったからというのだ。このような兵同士の愛の絆の強さこそが、清やロシアを相手に日本兵が勇敢に戦った最大の背景だったのではないかと小林氏は考察する。

陸軍少佐だったゲイバー『やなぎ』の故・青江のママが証言するように、実は太平洋戦争においても軍隊内で男色は行われていたことがわかっている。ジャニー喜多川氏は1931年生まれ。そうした時代に生き、2019年に87歳で亡くなっている。現在の価値観で過去を断罪してはならないという小林氏の主張は『戦争論』から一貫している。

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小児性愛者を差別するLGBT

一旦切断したペドフィリアが自分たちの仲間だと思われることは得策ではないと、「含まれない派」のLGBT活動家たちは火消しに躍起になっている。ゲイでジャーナリストの北丸雄二氏や弁護士の太田啓子氏は「ペドフィリアがLGBTQに含まれるはずがない」と強弁するが、それは独りよがりの解釈にすぎない。すべての性的マイノリティを包含する概念がQであるなら、ペドフィリアは当然その対象となる。「不都合な真実」であってもそこは認めなければならない。

東京大学教授でクィア学者の清水晶子氏は《ペドフィリアはセクシュアリティの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティです。それは否定できない。そのことと、性暴力や性虐待を許容しないことは、別の話です》と話す。クィア理論は「正常」な規範を外れたすべてのセクシュアリティを研究対象としており、境界線の撹乱を目的とする。ある時期からLGBTがLGBTQになったのは、L・G・B・Tといった「枠」への批判としてQが持ち込まれたからに他ならない。

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