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北野武監督作『首』は面白い:ロマン優光連載268

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黒澤明作品に対する北野監督なりの答えというかオマージュ的な部分もしっかりあり、重厚な感じもある。また、忍者バトルも魅せるものがあるし、光源坊というキャラクターもいかにも伝奇時代劇という感じでよい。

衆道というものを真っ向から取り上げている作品でもある。

戦国時代の武家階級における衆道というのは戦場だったり、生き残りのための裏切り行為がまん延するような、強固な信頼関係を必要とする特殊な場で生まれた制度的な疑似恋愛というホモソーシャル的な要素が強いものだと個人的には思う。ホモソーシャルの特徴としてミソジニーとホモフォビア(同性愛嫌悪)があげられるが、近代の西洋文明が導入される以前の日本では現代でいうホモソーシャル的なものとホモフォビアが必ずしも結び付いていたわけではない。

この映画では女性がほとんど出てこない。まともに台詞があるのは一人ぐらいではないか。徹頭徹尾ホモソーシャルの話である。そこで描かれる男たちの絆は暴力的で打算に満ちていて愚かであり滑稽だ。ビートたけしという人は芸人社会、たけし軍団との関係性といったホモソーシャルの中で生きてきた人というイメージがあるが、そういう中で生きながら、そういったものに対する冷ややかな視線というか、それを信じていないという感覚が反映されているようにも感じた。ビートたけしというのはどこまでいっても「一人」という意識で生きている人だと思うから。

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くだらない笑いを志向するコント、役者の演技に対する没入、いつもの暴力性、重厚な時代劇感、劇中のたけしがたけしでしかないことによって生まれるメタ感覚が入り交じり、それが産み出す捻れた感じを世の中全てに対する「くだんねえなあ」というビートたけしの声が聞こえてくるような作品として自分は受け取ったのだろう。

まあ、作品の評価というのは対象に対する思い入れが左右するものであり、私がビートたけしに思い入れがあり、またバランスの悪い作品を好む傾向があるので、それが理由でこの作品が好きなだけである疑いも当然あるわけだが。あと個人的に興味深いがあるのは、過去の北野武監督の作品は知っているが(あるいはそれも知らない)、ビートたけしには思い入れもないし、よく知らないような人がどう感じるかということだ。そこにすごく興味がある。

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