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朝ドラ『虎に翼』のフェミ演出への違和感

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寅子や周囲の志を同じくする女性たちのセリフは現代の感覚からすれば確かにもっともなのですが、この時代にそういう発想ってあったのか? と、どうしても引っかかってしまいます。物語の要所要所にある、寅子なり他の女性たちの見せ場となるフェミニズム的セリフの数々、現代人が言ってるかと見紛うセリフなんですよね。描くべきテーマのために、現代人の視点で、現代人によって作られているセリフだという感がありあり。

確かに、この物語が始まる大正時代にも色々な女性がいたでしょう。与えられた女性の役割を疑わずただただ受け入れて「置かれた場所で咲きなさい」的な生き方の女性もいたでしょうし、与えられた役割に疑問を感じながらもそれに抗うまでには至らず生きた女性、与えられた役割と別の生き方を模索した女性、それぞれいたことと思います。ただ、与えられた役割と別の生き方を模索した先進的な女性であっても、現代のように社会における男女間の差異に関しての問題が顕在化している時代と違って、当時はもっと手探りで女性の新たな生き方の模索があったのだと思います。それなのに、この物語において、そういった手探りさをすっ飛ばして、現代と同じジェンダー観を持った女性たちが、現代人の感覚で男女の格差や差別を問題視して行動を起こしていくのは、描写として乱暴すぎやしないでしょうか。

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モデルとなった三淵さんにしても、「置かれた場所で咲きなさい」というタイプでは無論なかったにしても、何から何まで現代フェミニストと同じ価値観で生きていたわけではありません。例えば戦後に新しい民法ができた時「あまりにも男女が平等であるために、女性にとって厳しい自覚と責任が要求されるだろう。はたして、現実の日本の女性が、それにこたえられるだろうか」と思ったと告白しています。いくらその時代において先進的な人であろうとも、ジェンダー観は現代のそれとはやはり違うわけです。

「一部の過激な」フェミニストだけが支持する駄作になりかねない

三淵さんなり男性社会の中で女性が生きる道を切り開いた女性たちは、変えるべきものが厳然としてある中でわかりやすくそれらに戦いを挑めたのではなく、変えるべきものの形を少しずつ露わにしていきながら、それらとじわじわ対峙していったはずなのですが、当時の世界のなかでわかりやすく男女の格差や差別を問題視し、わかりやすくそれと戦う闘士として寅子たちを描くのは、安易すぎるし、モデルとなった三淵さんの生涯をあまりにも無視して簡略化しすぎているのではないでしょうか。

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現代においても、いまだ女性が男性よりハンデを抱えて生きていかなればいけない部分は存在するでしょうし、その意味で、『虎に翼』のようなドラマが作られる意義はあります。ただ、あまりにも作品のテーマありきのみで物語が進んでいくようだと、結局すべての社会問題の責任を男性に押し付ける「一部の過激な」フェミニストの支持しか得られない駄作と成り果ててしまう気がしてなりません。

 

文/鈴木チチロー
画像/『虎に翼』HPより

 

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