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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』と『花束みたいな恋をした』:ロマン優光連載288

連載
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脚本や演出に主人公・麦くんに対する悪意を感じ、それは文化的仕事で成功している人間の傲慢なのではないかとしているわけだが、そういった傲慢さに対する反発や麦くん的なものの側に立っての発言が『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の中で随所に見かけることができる。

麦くん的なものが作中で揶揄され不当にあつかわれていることへの反発。ファッション・サブカル、にわか、ウォナビーといったものの何が悪いのかという意義申し立て。

カルチャー教室に対する批判の中には、ファッションで安易に教養を手に入れようとしていることへの反感もあった。オンラインサロンへの揶揄の中にはウォナビー的なものへの侮蔑が含まれているのも確かだろう。それに対する反発があると考えると最初に感じた不自然さも解消される。

いささか不自然に「にわか」という言葉があそこで出てきたのも、根底に麦くん的なものの側に立っていると思えばわかりやすい。

この本自体が、麦くんが就職したことでパズドラしかできなくなったということを「たいして文化とか好きでなかったから、こうなった」と解釈されるように描いていたことに対して、それはそうではないということを主張しているようなものだ。

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本人が語っているように麦くん・絹ちゃんと同学年である三宅氏の就職の時の体験が麦くんに対する強い思い入れにつながっているというのはあるだろう。本人が麦くんが揶揄されているような言葉で辛いおもいをしたことがある可能性も感じる。それにしたって映画の登場人物の扱いに対する意義申し立て的なものから一冊の新書が産まれたのは凄いことだと思う。

私は『花束』という映画に関する解釈は彼女とは違うし(略称だって『花束』と『花こい』で違っている)、にわかやウォナビーといった言葉から受けとる意味も違うようだ。相容れない部分も多いだろう。認識が一致している部分はあるが、それに対する評価は全然違っていたりするし。 

私は音楽や文章だけで生計をたてたことはなく、ずっと兼業しながら活動を続けてきた。

自分の周囲で音楽をやっている人の中には音楽だけで生計をたてているもたまにはいるが、ハードコアパンクやオルタナティブといった商業的な成功とは無縁の音楽活動を仕事をしながら続けている人が多い。

仕事や子育てが忙しくて活動を休止したり、それが一段落したので10年ぶりに音楽活動を再開したり、活動とはそういうものだと思っている。必ずしもそれで生計を立てなければいけないとも思わないし、大切なのは続けることだと思う。それがどういうスパンであっても、やれる時がくればやればいい。音楽活動に全振りすることが正しいわけではなく、自分のペースとタイミングでやっていけばいい。

だから、三宅氏と同じように麦くんも仕事をしながらイラストを描けばいいのにと本気で思う。作中の麦くんの描かれ方だとそういうことは望めないかもしれない。それでも、過去に好きだったものにまた触れるぐらいはしていいのではないか。「押井守の情報ではなく、作品とちゃんと向かい合ったほうが楽しいよ」と作中の麦くんに思ったものだが、それは全身全霊を傾けろという話ではなく、特に何か考えずに素直に対象と向かい合ったほうが楽しいということだ。

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