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『セクシー田中さん』報告書:ロマン優光連載294

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日テレ側の報告書は、ちゃんと改編理由の説明を聞いてもらえば先生も納得していたはず、その体制が作れなかったのが失敗だったみたいな空気が出ているのだが、彼らが説明をちゃんと聞いてもらえなかったという実例にあげている部分をみてみると、そういう話ではないのではないかという気になってくる。

双方の報告書が言うようにコミュニケーションに問題があったのは確かで、そういった問題は解決していかなければならない。しかし、理解してもらえなかったとか、誤解があったとかでなく、日テレ側の主張を理解した上で作品のテーマにそぐわない改変であると却下している場合が多いのでは。

例えば、日テレが例示していたキャラクターの学歴を短大から専門学校に改変するという件。芦原先生によるそれを却下した説明を読むと、その設定にこめられたテーマを無視しているから却下したというのが理解できるし、そこに誤解もなにもないのである。

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原作に忠実にやるには時間や予算の制限があって、どうしても難しいという現実はある。実際にそういう理由からの改変もあったとは思うが、そうでないものがあるのは間違いないと思われる。

日テレ側は原作のテーマやこだわりを大切にドラマ化をしようとしていたと言うが、本当に原作者が作品に込めたテーマを理解できていたのだろうか?

あの報告書の内容をみる限り、ドラマの素材として原作のプロットの一部を必要としていただけではないかという疑問が生まれてしまう。

「こういうものだから仕方がない」という考え

あと、脚本家が気の毒な感じがしてしまう。あの人は芦原先生からの要望をどこまで説明されていたのだろう。

最初の時点で何をどう聞いていたかもわからない。具体的な脚本に対する修正点も原作者から小学館の担当者に伝えられたものを、小学館側が表現を緩やかにしてから日テレ側に伝え、それを各人に回していたようだ。それも、途中からはそれでも言い方がキツいという声(これは誉められたものではない)が脚本家から出たために、さらに日テレのプロデューサーが内容を咀嚼してから脚本家に伝えるようになっていたという。

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