一浪して入った早稲田大学第一文学部映画演劇科に在学中に現在の夫人・髙橋陽子氏と出会い学生結婚。その理由は「同棲は潔くない」からだそうです。ただし、彼の書く小説の登場人物の大半はそんなこと気にせず、お洒落なバーで隣に座って知り合ったら、たいていはその日のうちに婚前交渉です。早々に結婚を決めてしまったことの反動で妄想を書き散らしているとしか思えません。
ちなみに村上さん、結婚も早ければ、商売に手を出したのも学生時代という早さ。なんでも所帯を持ったからには働かなければ、と思い就職活動らしきことをしたけど、どうしても会社に属して働きたくないからと、国分寺で始めたのがジャズ喫茶「ピーター・キャット」(以前飼っていた猫の名前から付けたそう。ふ~ん)。「自分の手で材料を選んで、物を作って、客に提供できる仕事」がしたかったからだそうです。どんだけ気どれば、気が済むのでしょうか? イケ好かないにもほどがあります。
開業資金の500万円の半分の250万円は夫婦でアルバイトして作り、残りは奥さんの実家から借金したそうです。ちゃっかりしているのは昔から変わりません。昼は喫茶店としてコーヒーを出し、夜はバー、週末は生演奏が聴ける店として大当たり。本人は“まずまずの成功を収めた”とか格好つけて言ってるみたいですが、たった3年で国分寺の田舎から、千駄ヶ谷の鳩森神社の近くという一等地に店を移転させたことからも成功は明らか。小説家としての名声を得てからは、商売人としての俗な成功など、むしろ黒歴史なのかもしれません。
ヒット作連発も文壇での評価は微妙
で、小説家になったエピソードが、またふるってます。1978年4月1日の午後1時半ごろ、自らが経営する千駄ヶ谷のおしゃれなジャズ喫茶の近くの神宮球場で、ビールを片手にひとり、ヤクルト対広島の試合を眺めていたときのこと。1回の裏、先頭バッターが2塁打を打った瞬間に「そうだ、小説を書いてみよう」という想いが、空から舞い降りるように春樹の頭に浮かんだそうです。