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中身ペラペラで自意識過剰の村上春樹作品に騙されるな

社会
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 ただし、これがノンフィクションとは名ばかりの酷いもので、相手を否定も肯定もせず、自由に喋らせて、そのまま聞き書きするだけという代物。結局は、自分は絶対に傷つかない高みから、被害者は可哀想と同情し、最後は「危機管理をしっかりすべし」というサルでも思いつきそうな安易な結末で締めくくられているのです。

 もちろん何も考えずに村上さんは、ノンフィクションをお書きになったわけではありません。彼が見据えているのは、他でもないノーベル文学賞でしょう。ノンフィクションを書くこともそうですが、年々政治的発言も多くなっています。

 中でもある意味秀逸だったのが、2009年に権威ある文学賞とされるエルサレム賞を受賞したときの「壁と卵」のスピーチです。ノーベル賞の選考に影響の大きいユダヤ人のご機嫌を取りたくて批判覚悟で、ガザ攻撃直後のイスラエルでの授賞式にノコノコと出かけていった村上さん。現場では、「壁(弾圧する側)と卵(弾圧される側)だったら、私は常に卵の側に立ちたい」とお得意のメタファーを盛り込んでイスラエル政府を批判。なんとなく上手いことやった感が漂いましたが、評論家の斎藤美奈子に「こういう場合に『自分は壁の側に立つ』と表明する人がいるだろうか(中略)作家はもちろん、政治家だって『卵の側に立つ』というのではないか」(「朝日新聞」09年2月25日付夕刊)とその底の浅さを看破される有様。

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ノーベル賞を逃し続ける原因は実力不足

 そんなあざといことばかりやっているのが災いしたのか、毎年のように候補になりながらも、ノーベル賞を逃し続ける村上さん。とはいえ、そもそも、その作品のクオリティがノーベル文学賞に値しないという話も。代表作『ノルウェイの森』はただのポルノ小説だし、1992年の『ねじまき鳥クロニクル』以降の作品に顕著な暴力描写もヨーロッパ圏では受け入れられがたいようです。最近の作品『1Q84』に至っては、児童ポルノにすぎないという意見も少なくありません。

 しかも問題はそれだけではありません。『ねじまき鳥』以降の作品には、矛盾点が散見するのです。本来であれば、編集者が疑問点や納得できない言い回しは、チェックして修正させるところですが、もはや村上天皇の原稿に文句をつけられる者はいません。結果として、そのままスルーとなり、辻褄の合わない失敗小説が出版されるわけです。

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