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中身ペラペラで自意識過剰の村上春樹作品に騙されるな

社会
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 ……この人、なんなんですか? 自分のこと、マホメットとか預言者と肩を並べるカリスマだとでも言いたいのでしょうか? ただし、間違いなく、この話、絶対に嘘としか思えないのですが。自己演出の一環として、あとづけで考えたお得意のフィクションですよね? 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」とかって、小説の登場人物たちのセリフだけでも胡散臭くて恥ずかしいのに、本人まで胡散臭くて恥ずかしいとは、ある意味ブレなしです。

 まぁ、本当はずっと前から小説家になりたかったんだろう村上さんは、そんなスカした言い訳をしながら、29歳で処女作『風の歌を聴け』を発表し、小説家になります。この『風の歌を聴け』と2作目の『1973年のピンボール』は、2作続けて芥川賞候補になりますが、受賞は果たしてません。ちなみに当時の選考委員だった瀧井孝作は、「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作品」と酷評していますが、単純に言ってしまえば、文壇のお偉方も、スカしたおしゃれ小説が気に入らなかったに決まっています。

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 芥川賞こそとれなかった村上さんですが、どうやら少しばかり小説が評価されたことに気を良くしたのか、軌道に乗っていたジャズ喫茶を人に譲り、小説家に専念します。もちろん、その理由はジャズ喫茶のマスターよりも、小説家の方が知的で格好いいからに他ならないでしょう。

 それからの春樹は、『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞を受賞。そして上下巻あわせて1000万部以上の発行部数を誇る『ノルウェイの森』で、一気に国民作家に上りつめます。とはいえ、この『ノルウェイの森』にしても、主人公の冴えない「僕」が、リアリティのない不思議ちゃんや、メンヘル女に、意味もなくモテまくるだけの話で、評価できる部分があるとすれば、正直バカ売れしたこと、この一点に尽きます。

 世間と関わるのが大嫌いな村上さん、売れっ子になるとすぐに日本を脱出してアメリカに移住しました。その理由は、某写真週刊誌が「少年時代の写真を無断で掲載した」からというもの。傷つきやすいナイーブな感性の持ち主だから仕方ないと世間は言いますが、実際は自己プロデュースの及ばない恥ずかしい少年の自分が出回ることに耐えられなかっただけでしょう。

 しかし、村上さんの欲望は留まることを知りません。大好きなアメリカで、毒にも薬にもならないメルヘン小説を書いてりゃいいものを、それだけでは満足できなかったらしく、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こすと、突如として社会派に転身。サリン事件の被害者をインタビューして、初のノンフィクション作品『アンダーグラウンド』を書き下ろします。

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