〝ゲゲボ〟などのロード語と言われる独自のジャーゴンも多く、そのなかでは〝ショタコン〟はローディスト以外にも広く使われるようになった言葉だ。時代と共にロード語も変化していき、私がわかるのは〝松平〟とか〝攻撃しないでください!〟みたいなやつで90年代以降に流行っていたという〝やさい〟とかは全然わからない。同級生のOくんが実際に口にだして〝ゲゲボ〟と叫んだときにひいてしまった記憶があるが、既存のキャラだけではなくネタ元に他の読者の投稿が使われたり、編集者や常連投稿者をキャラ化しネタにするため、一見さんには全くわからないような雑誌だった。
楠桂・大橋薫姉妹はそういった土壌のもとで常連投稿者としてアイドル視されている存在だった。楠先生は15才の若さで1981年に集英社の『りぼん』からデビューしており、姉である大橋薫先生がデビューしたのは1985年。自分が熱心に読んでいた姉妹で、『ファンロード』誌面に頻繁に表れるようになったころには、すでに楠先生はプロの漫画家というイメージが強かったため、大橋薫先生のほうに常連投稿者のイメージがある。とはいえ、姉妹で『ファンロード』誌面やイベントによく登場していて楠先生もロードの人という認識ではあった。
アイドル視と書いたが、1988年には当時の『ファンロード』の発行元ラポート社から二人のアイドル的なグラビアが大きくフィーチャーされた『リトル・ショップ・オブ 大橋姉妹(シスターズ)』というムック本がつくられたほど容姿込みで人気があった、あるいはそういうノリを読者が楽しんでいた。本誌でも海外SF大会ツアーに参加した際の二人の水着スナップなどが掲載されていたが、それにアイドル的なニーズがあったのは間違いない。
一本木蛮先生にも写真集はあるが、彼女の場合は漫画家である以前にコスプレイヤーとして注目をあつめたのが先なわけで、コスプレイヤー兼漫画家と思えば特に不思議はない。しかし、大橋姉妹の場合、確かに二人とも素人としてはアイドル的な可愛さを持つルックスの美人だが、特に容姿を全面にだす活動をする人たちではなかったし、『ファンロード』編集部・読者の内輪ノリの産物であって、それ以外の漫画ファンからしたら面妖なものだったであろう。
こういった悪ノリにも先例はある。1983年に出された『まるまる新井素子(別冊SFイズム1)』(発行:シャピオ)というSF作家・新井素子先生のムック本では、新井氏のアイドル写真集的なグラビア(露出度の高いものはない)が掲載されており、私を困惑させた。