290回 スティーブ・アルビニ〜断章〜
ふとX(旧Twitter)をみたら、スティーブ・アルビニの訃報が流れてきた。
80年代後半から90年代初頭の一時期、スティーブ・アルビニは私のヒーローの一人だったし、今でもBig Blackというバンドのことを未だに考えているときがある。
現在、私の脳内はいわば金縛り状態にあり、一定の流れにそって思考をまとめることは難しい。これ以降に書き並べるものは、アルビニや彼の周辺のまつわることに関して普段考えていたことや記憶の断片でしかない。
Big Blackは80年代に活動したアメリカのシカゴのバンドである。トレブル域が強調された金属的なギター音と潤いのないドラムマシーンの音が特徴的なバンドだった。私が初めて聴いたのは87年発売の最後のスタジオアルバムとなる『SONGS ABOUT FUCKING』だったのだが、金属的で潤いのない音とドラムマシーンの疾走感に夢中になった。当時自分が主に聴いていたイギリスのインディ・ロックシーン、NWの流れを組むシーンが自家中毒的な停滞感が漂っていたのに比べ、Big Blackをはじめバットホール・サーファーズ、Pussy Galoreといった当時の日本では「ジャンク」というジャンル名でくくられたアメリカのバンドたちはパワフルで刺激的だった。
「The Power Of Independent Trucking」はめちゃくちゃカッコいい曲だ。
高校生の自分には、Big Blackは過去のPUNK/NWといったものから切り離された突然変異体のように感じられたのだが、それは情報が少なかったための誤認識であり、その後の40年近い年月をかけて私がわかったことは、このバンドは地元のシーンの歴史を踏まえた、登場すべくして登場したバンドだったということだ。
80年代の日本の地方都市ではアメリカのパンクやハードコア、その他アンダーグラウンドなロックの音源というものは、ほぼレコード屋に入ってこなかった。いや、基本的に情報自体がほぼない状態だった。当時、流通の問題でアメリカのインディーのものは入ってきにくかったということを聞いたことがある。『SONGS ABOUT FUCKING』が四国の地方都市の小さなレコード屋に入荷したのは、発売元のBlast Firstがイギリスの大手インディー・レーベルであるMute参加のレーベルだった、ようするにイギリスのレーベルだったからなのだろう。
Big Blackがアメリカを中心としたハードコアパンクを経由したポストパンクの再解釈的なサウンドだとしたら、BB解散後に彼が結成したRAPEMANはハードコアパンクを経由したハードロックの再解釈、レッド・ツェッペリンの再解釈というようなバンドだった。後にアルビニはジミー・ペイジ&ロバート・プラントの作品をプロデュースした。