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長嶋茂雄 球界ロイヤルファミリーの消えない確執

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「そんな一茂は1993年、長嶋が監督に就任した巨人へと移籍するわけですが、それは当初からの既定路線。ヤクルトからしてみてもお荷物だった一茂を手放したかったのです」(同前)

だが、巨人デビュー後は不遇の時代が続いた。膝の故障を経験し、4年間は快音を響かせることはできなかった。その頃、一茂はパニック障害を患い、「まともにバッターボックスに立てなくなった」という。そして、ついに96年のシーズンオフで長嶋監督から解雇されたのだ。巨人をクビになった際の心境を問われた一茂は、当時周囲にこう語っている。

「自己嫌悪に陥った。だって、うちの親父だって息子にそんなこと言いたくないでしょ。その一言を言わせてしまったことが悔しくて」

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後々に長嶋家との確執につながる個人事務所「ナガシマ企画」を立ち上げたのは、その年の年末のこと。テレビタレントに転身した一茂は、持ち前のふてぶてしさと自由奔放な振る舞いで人気を博し、プロ野球時代には定着しなかったレギュラーの座を射止めている。

「一茂の現在のレギュラー番組は『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)や、人気バラエティ『ザワつく! 金曜日』(テレビ朝日系)など。視聴者からは賛否両論ありますが、コンスタントに数字を取れるというのが広告代理店の評価ですね。『ザワつく!』は、3年連続の大晦日特番が決まっています」(テレビ関係者)

父という利権を巡る骨肉の争い

その一茂と長年断絶状態にあるとされるのが、前出の三奈である。長嶋家の次女として1991年にテレビ朝日に入社。主にスポーツ畑のキャスターとして活躍していた。看板番組『ニュースステーション』のスポーツコーナーや『長島三奈の熱闘! スポーツM18』でキャスターを務めた。2000年3月に退社し、その後は契約社員として職場復帰しているが、現在はフリーランスを貫いている。一茂と三奈が最後の共演となったのは、98年の長野五輪。開会式特番には茂雄も登場し、親子の共演が実現した。

だが、球界のロイヤルファミリーはその後、数奇な運命を辿っていく。契機の出来事が起こったのは、04年3月4日のことだった。前出のスポーツ紙記者が当時を振り返る。

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