――国家の機能として「富の再分配」があるとしたら、その逆のことが起きますね。
米山 そうです。国債というのは、同世代における分配の問題であって単純な将来世代への借金ではないのですが、結局のところ再分配問題を逆に難しくして後世に渡しているんです。だから私は、「国債は未来の投資」みたいな話をする政治家をみると、正直ムカムカします。
極めて単純化して話しますが、国債を発行する時は、お金を持っている人から、お金を持ってない人にお金を流すので、大義名分があり、政治的に極めて容易なんです。だけど、国債を返す時には、お金のない人からお金を集めて、お金のある人にお金を流すという、政治的に極めて困難なオペレーションになります。その困難な政治的オペレーションを解決するツケを大量に後世に残しているのが、いまの状況です。
私は、次の世代にそういう困難なツケを残すというのは、政治家としてやってはいけないことだし、自分たちの世代の課題は、自分たちで解決しないといけないと思います。
――財源も含めて、と。
米山 増税という難しいオペレーションから逃げてはいけない、私たちの世代がお金持ちから金を取らなきゃいけないなら、私たちの世代がお金持ちをちゃんと説得しなきゃいけないんです。
――ただ、それはどう説得しますか?
米山 それは選挙です。ちゃんとした財政政策ができる人や党に投票する。そして選ばれた人は、選挙によって得た権威と権力によってそれを実現する、それが民主主義です。
――確かに。
夢のような言説こそ国民の敵
米山 反緊縮や積極財政派の人たちは、「自分たちこそ国民の味方。財政規律を守ろうという人は国民の敵だ」といいますけど、逆だろ! と思います。そういう甘ったるい夢のような言説を振りまくから、国民の側も分断されて、合意が難しくなる。楽な道や、魔法のようなことはないんですよ。今もし積極財政で潤ったとしても、その先の世代はどうするのかを考えたら、逆にそれは国民の敵になります。それなのに間違った言説を振りまいて、解決を先送りして、国民を分断して、合意を難しくしている方が、よっぽど国民の敵ですね。
――国が推進している投資についてはどうですか?
米山 私はあれも、ある種の政治の責任放棄であり、「甘い夢」だと思います。投資って、本来は余裕がある人が、自分の責任でやることですから。