「行き過ぎた表現」という反省の言葉は不適切
人権賞受賞への批判が無視できなくなったという理由があったにせよ、曲がりなりにも虚偽による人権侵害の助長に対して謝罪したことは、いまだに新井氏の主張をもてはやして草津町を攻撃しておきながら、虚偽であったことが発覚して以降はダンマリを決め込んでいる人たち(主にフェミニストを自認する人たち)に比べれば素晴らしいことだと思います。
ただし、この謝罪文、「レイプの町草津」の表現が行き過ぎだから「セカンドレイプの町草津」と訂正したけど「セカンドレイプの町草津」も行き過ぎで、多くの方を傷つける表現だったと詫びています。
「行き過ぎ」というのは、「度を超えてる」という意味であり、その方向性自体は間違いではなく、ただ過剰だった、この場合で言えば、表現が過剰だったという意味になります。それならば、「性被害の町草津」だとか「わいせつの町草津」なら妥当だったのか、という話になってしまいます。
表現が「行き過ぎ」だったのではなく、表現が完全な「誤り」だったわけで、ここで「行き過ぎ」という言葉を使っているのは、何が問題だったのか、いまいち理解できていないのではないか、と思われてしまっても仕方ありません。
また、この文章において、草津町長黒岩氏に謝罪していますが、Springがこの文章だけで謝罪を済ませるつもりなのか、についても気になります。今回のようにただただ性被害の訴えた方の主張を鵜呑みにして無実の対象を攻撃するようなことが起こらないよう再発防止をどうするのかなど、人権賞を受賞するほどにご立派な活動を行っているSpringの今後に注目していきたいところです。
文/田崎寿司郎
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