戦後ものという側面もある作品であり、列車で煙草を吸って子供が咳き込んでいる光景で時代の野蛮さをわかりやすく伝えていたが、もらい煙草の件といい、煙草の使い方が上手い作品だと思う。
あの「M」という薬。戦前は兵士に与えて死を恐れぬ兵隊にし、戦後は企業戦士が使って不眠不休で働くという薬って、まあ普通に考えてシャブの隠喩というか、モチーフというか。Mってメタ・アンフェタミンの頭文字であるわけで、そのまんまだし。Mを開発するために村ぐるみでヨソの人間をさらってきて人体実験している様子も含めて、第二次世界大戦中の日本の負の部分のイメージが投影されている。龍賀一族による支配によって象徴されているのは戦前戦中から結局社会は何もかわらず支配層は弱者を搾取しながらのさばりつづけている構図であり、それを打ち破ろうとする物語でもあるわけだが、そういうところはかなり『仮面ライダー BLACK SUN』だ。
こういった部分は水木しげるが戦記ものなどで見せる怒りの部分をストレートに取り入れているのだろう。
戦後まもない因習の村的な描写は金田一耕介ものの映画を下敷きにしているところがあるというか、遺言状のところは本当に『犬神家の一族』のオマージュというか、そのまんまであり、弁護士など外見までそっくりだ。
そういえば、村長の名前が長田なのは『犬神家の一族』の脚本の長田紀生氏か編集の長田千鶴子氏へのオマージュではないかと、千鶴子氏の甥である電影と少年CQのプロデューサーの長田左右吉氏が言ってました。
バディ物としての出来の良さだけでなく、戦後描写や戦後をどうとらえるかということに意欲的に取り組んでいる作品である。
鬼太郎世界はマルチバース
今作はアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第6シーズンの世界観を引き継いだ、おそらく同一世界線上の作品であり、第6シーズンの設定が踏襲されている。第6シーズンでは水木(登場はしないが何度か言及されている)は鬼太郎を育てた恩人であり、鬼太郎が人間の味方をする理由の一つに水木の存在があげられるなど、鬼太郎親子と強い絆がある人物として設定されている。このことを知らずに観に行った人の中には、「え、でも水木さんはこの後、鬼太郎たちに冥界送りにされたり、ひどい目に…。」「そんなに大切な人のお母さんにあんなことをするなんて…。」と不安になってしまう人もいるかもしれない。だが、この世界線の水木は『墓場鬼太郎』の世界線の水木とは違う水木だから、本人もお母さんもきっと大丈夫だ。