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大谷翔平vs長嶋茂雄 歴代最高の野球選手はどっち?

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開幕後はしばらくライトを守っていた大谷だったが同年5月23日、ヤクルトとの交流戦で投手として初登板・初先発。以降、二刀流として活躍し、14年には日本プロ野球史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」を達成。15年には投手三冠。16年には投手と指名打者の両部門でベストナインのダブル受賞に加えリーグMVPにも選出された。 17年のオフにポスティングでロサンゼルス・エンゼルスに移籍しても投打の二刀流を貫き、18年にはア・リーグ新人賞を受賞。しかし19年、20年は怪我の影響もあって投打ともに不調で苦しむ。そこを乗り切っての21年は投打で大活躍し、シーズンMVPとシルバースラッガー賞を受賞。タイム誌による「世界で最も影響力のある100人」に野球界で唯一選ばれた。22年はMVPこそヤンキースのジャッジに譲ったものの、MLB史上初となる投打でダブル規定到達の偉業を成し遂げている。

ちなみに大谷が不調を脱するべく、もっと野球が上手くなるために選んだ手段のひとつに「肉体改造」がある。チームメイトからは「ジムオタク」と呼ばれるほどトレーニングに励み、今ではデッドリフト(バーベルを持ち上げる運動)で230キロを軽々と上げてしまうという。

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一方、長嶋が取り組んでいたのは「三振したときにヘルメットを飛ばす練習」。「(試合で)グラウンドに出ている2時間半なり3時間はお金をとってみせる自己表現」だという長嶋は、「三振しても何か光るものをお客さんに与えなきゃならん」という信念のもと、わざと小さめで楕円形のヘルメットをアメリカから取り寄せて、上手く飛ばす練習をしていたという。

長嶋は筋トレしなくても打てるってこと。意気込みの角度が違うよね。ね。

他にも守備では何でもないゴロを難しそうに捕ってみたり、スローイングのときに歌舞伎の動きを真似てヒラヒラさせてみたり。 これでエラーしていたら広岡達朗辺りに「真面目にやれ!」って怒られもしただろうが、シーズン214守備機会連続無失策という三塁手のプロ野球記録を保持しているほどの名手だけに、誰も何も言えない。

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WBCで幕を開けた2023年の野球界。打率4割3分5厘、1本塁打8打点、2勝1セーブ、防御率1・86と、二刀流で大活躍した大谷は大会MVPに選出された。最後に同僚のトラウトを三振に仕留めての優勝は多くの野球ファンの脳裏に焼き付いているだろう。

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しかしオールド野球ファンの脳裏にはもっと強烈な場面が焼き付いているはずだ。そう、1959年に後楽園球場で行われた「天覧試合」。伝統の巨人阪神戦にて4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が打った球がスタンドに吸い込まれていった。天皇が観ている前でサヨナラ本塁打が打てる唯一無二の男、長嶋茂雄。

ちなみにWBCでは大谷による「憧れるのをやめましょう」という声出しが話題になっていたが、憧れるならとことん憧れるのが長嶋流。憧れの二宮金次郎の銅像を自宅の庭に建てている。学校以外のしかも自宅に、恥ずかしげもなく二宮金次郎の銅像を建てられる唯一無二の男、長嶋茂雄。

話を大谷に戻そう。23年に2度目のMVP満票選出を果たした大谷は、プロスポーツ選手史上最高額とされる10年総額7億ドル(約1000億円)での契約でドジャースへ移籍した。ドジャースでは10人目となる日本人選手だ。第1号選手は野茂英雄だが、実は幻の第1号選手がいる。  そう、長嶋茂雄だ。

1966年に日米野球で来日したドジャースのウォルター・オマリー会長が、「長嶋を譲ってほしい」と正力松太郎に打診した。しかし正力は「長嶋がいなくなると日本の野球は10年遅れる」と突っぱねたという。 長嶋のほうがすごいな。

後にその件を知った長嶋は「どうするかと聞かれたら、行っていたかもしれない」とし、「あちらではどうでしょう。うーん、僕は中距離ヒッター、打率は2割7分、8分辺りで1、2番タイプでしょうか」と。自己分析力も半端ない。

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