N子さんは、好きな人の子供を産みたいという思いから「できるなら産みたい」と伝えたという。中居も『もし産むのなら認知はできないけど養育費は払うから』など、一応はN子さんを思いやる言葉をかけていたが、本心は中絶一択だったようだ。翌日からの態度は一変し、電話で「とにかく早く病院に行ったほうが君のためだよ」「もし産んだら事務所からは切られるし、いられないから辞めるしかないよなあ」と泣きが入り、妊娠を知った2日後には中絶のための病院を勧めてきたという。
《中居クン本人も通っている病院だったみたいです。そこでお腹の子の写真を撮ってもらいました。この時点では現場のマネージャーさんには話してたようですけど、上の人には報告していなかったようで、『どうしよう』と泣き言ばかり言ってました》
結論が出ないまま2人は何度も話を続けたが、中居の口から出るのは《もし産んだらCM9本の違約金が幾ら、番組が幾ら。事務所は払ってくれないだろうし、払える自信もない》《自分の結婚する相手や子供にどう伝えたらいいんだ。困るんだよ》といった泣き言ばかり。最後には《産んでも認知しないし養育費も払わない。産まれた子供に一生会うつもりもない》と宣言されたという。
悩んだN子さんは、最終的に「一生かかろうと、心の傷がいえるまでは側にいるから」という中居の言葉を信じ、中絶を了承する。中居の対応は驚くほど早く、すぐ西麻布にある病院に予約を入れられ手術の日取りが決まったという。
しかし、不安に揺れ動いたN子さんは、手術日前日になって、明日は病院に行かないという伝言を中居の携帯に残す。中居からコールバックがあったのは深夜1時過ぎのこと。そこで中居はこう提案してきたという。
《マネージャーは女だから一回話してみない? って言うんです。》
当時、中居がマネージャーと呼んでいた女性は1人しかいない。SMAPを国民的グループに育て上げた飯島三智だ。後にジャニーズ事務所の女帝・メリーに追い出され、これがSMAP解散の引き金となったことでも知られる名物マネージャーだ。N子さんがなかなか中絶の決断をしないことに業を煮やした中居は、ついにジャニーズ事務所に泣きついて圧力をかけることにしたのだ。
深夜3時、中居が1人の女性を連れて待ち合わせのバーにやってきた。女性は名刺も出さず、ただ「イイジマ」と名乗ったという。イイジマは中居を指さしながら「この子に何か言いたいことある?」と切り出した。