一方、後継者として父の寵愛を受けていたドナルドだったが、あまりにも素行不良だったため、13歳のときに陸軍幼年学校へ送られた。敵に勝つことが偉いとされる学校では無双だったのか、士官候補生として卒業。1964年から眞子さまの夫・小室圭氏も学んでいたフォーダム大学に2年通って学位を取得後、アイビーリーグ8校のひとつで難関校のペンシルベニア大学ウォートン校に編入した。
そんな自分を「スーパー天才」と自慢するドナルドだが、頭の良い友人にカネを払って“替え玉受験”したと姪は暴露している。宿題は秀才だった姉に頼み、学内テストはカンニングで切り抜けたというのだから流石としかいいようがない。このマンガみたいなベタな悪事をするのが、ドナルド・トランプのいいところ♪(いや、よくない)
トランプが大学を卒業した1968年といえばベトナム戦争の最中だが、父親が知り合いの医者に頼んで足の病気があると偽の診断書を書いてもらって、当たり前のように兵役逃れをしていたらしい。流石すぎる。
その後、1971年、25歳のときに父の不動産会社に入ったドナルド。ここで帝王学を学んで……と思った矢先、前述した黒人差別訴訟が起こる。これに頭を悩ましていたときに出会ったのが良くも悪くも伝説の弁護士ロイ・コーンである。
監督脅迫で映画出演する経営者
1973年に入居審査で黒人に対する人種差別をしていると司法省から訴えられたのは、トランプが父から任されていた物件だった。あるパーティーにてロイ・コーンと出会ったトランプはこの件を切り出したところ、「それなら間違いなく君の勝ちだよ。司法省のヤツらを怒鳴りつけて、差別したというなら証明してみろと言ってやれ」とアドバイス。これに安堵したトランプはロイ・コーンに弁護を依頼したところ、被害額1億ドルで逆に司法省を訴え、記者会見を開いて大々的に公表した。結果、勝訴。以降、トランプはロイ・コーンを師と崇めたという。
勝利至上主義者の父に育てられ、勝つためには手段を選ばない師に教えられ、今のドナルド・トランプが完成したのである。ここからとんでもない不動産投資家としての道を歩み……いや、爆走し始める。
1976年、破綻状態であった老舗のコモドアホテルを買収し、1980年にグランドハイアットニューヨークとして開業。ちなみに買収の資金繰りが上手くいかなかった際、父フレッドがニューヨーク市長に掛け合い、40年間に渡って4億ドルの特別減税措置を獲得している。どうやって獲得したかは、神のみぞ知る!
1983年、マンハッタンにトランプタワー開業。1987年、『トランプ自伝』発行。サブタイトルは「不動産王にビジネスを学ぶ」(笑)。1988年、プラザホテルを4億ドルで買収。映画『ホームアローン2』でカルキン少年がトランプと遭遇するのが、このプラザホテルである。つまり制作当時、ホテルオーナーだったトランプがカメオ出演したということだ。