北村氏に関して「こいいう人だったの!」「いつのまにこんな人に!」と驚いている人も多い。『行列のできる法律相談所』のイメージだけで彼をとらえていた人にとっては驚き出あっただろう。そこではそういう面を表にだしたことはないのだから。自分も10年代中盤くらいに彼のSNS上の発言を見て驚いた記憶がある。彼の当選に関しては、その主張を支持して投票した人だけではなく、タレント弁護士としてのイメージだけで入れた人も多いのではないだろうか。
2007年の自民党総裁選挙では麻生太郎氏の応援演説を行うなどの自民党支持者であったし、10年代前半は民主党批判や百田氏のファンを公言したりしていたが、常識的な発言に終始していたと思う。その後、安倍氏との交流が生まれ、百田氏との関係が密接になった時期は正確にはわからないが、2016年から『虎ノ門ニュース』への出演が始まっている。また、2019年には当時「保守」界隈で人気があったケント・ギルバート氏と共著で『日弁連という病』という本を出している。2021年、2024年の自民党総裁選では高市早苗氏を応援しており、北村氏の右傾化は昨日今日にはじまったわけでもない。北村氏は斉藤元彦兵庫県知事の主張を支持しているが、これは斉藤氏を批判しているのが左派・リベラル層に多いためのものではないかと思われる。
10年代中盤から、「保守」的発言が多くなった印象があり、じょじょにエスカレートしていったものと思われる。
本来の意味を失った「左派」
北村氏のいう「左派」という言葉であるが、これは本来の意味の「左派」ではないのだろうなと思う。
ネット上での左派・反日といった言葉の意味は徐々に本来の意味を失い、本来の定義とは関係なく、自分の気に食わない意見を発するものはなんでも「左派」「反日」だと罵るような自称「保守」層が増えている。それと対になるのが、自分の気に食わない意見を発するものはなんでも「ネトウヨ」認定するような一部の変なリベラル・左翼自認の人たちなわけだが。
双方にこのような人がいるが、圧倒的に多いのが自称「保守」の人たちである。そもそも母数が違う。
そして、第二次安倍政権以降に多くみられるようになったのが、安倍晋三氏を中心にすえた考え方である。安部氏と敵対するもの、そこまでいかなくても安倍氏に批判的な言説を持つものは「左派」「反日」であるという考え方をする人たちである。『HANADA』『WiLL』といった右派雑誌、SNS上に飛び交う現説もイデオロギーや政策と言った話ではなく、安倍氏自体を支持するかどうかが中心になっていた時代があったし、今でも安倍氏の偶像化は継続しているように思われる。
かつての石破氏はネットの「保守」層に期待され、支持される存在であった。それが現在のような扱いになったのは、安倍氏の敵対者として自民党内で対立していたためである。
北村氏のいう「左派」という言葉を「安倍アンチ」とか「反安倍」に変えてみると、しっくりくるところがある。
上で偶像化と書いたが、森喜朗氏や安倍氏をアイドル力が高いと評してきたし、以前からアイドルオタクの友達と「安倍ちゃんってアイドルだから」とか話してきたが、安倍晋三という人の人気のありかたはアイドルのそれであると感じていた。
推しに対する批判はそれが正しくてもいっさい受け付けないオタク、間違っていても全面肯定するオタクがいるが、安倍氏の政策の中に彼の支持層からしたら本来受け入れてはいけないものもあるのに、そういった矛盾を目に入れず、全面的に肯定するようなことがおきていたのも、単に調べないだけの人もいただろうが、彼の人気がアイドルのそれであったからではないか。
梶原麻衣子氏の『「“右翼”雑誌」の舞台裏』を読んで、保守・右派にも安倍氏が「アイドル」であったという認識の人がいたことを知ったが、まさしく安倍氏はその界隈にとっては不世出のアイドルであったのだろう。
推しは尊いとする推し文化というものは、対象を全面的に肯定してしまう側画が出てきてしまう。私は推し文化的なものが苦手なアイドルオタクだ。推しは人間なので間違いもおかすし、常に肯定することはできない。それによっては、どんなに好きでも、離れなければならない時が来ると思う。推しは尊いというような神聖化は耐えられないし、人間に対してそれはダメだと思う。