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「実は選挙中に“いい男”を掴んだのよ」高市早苗の尻軽すぎる過去

社会
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 92年5月、高市氏は奈良県選挙区の公認申請を自由民主党県連に提出。だが、公認争奪戦では現職参院議員の三男に敗北し、出馬は叶わなかった。

「当時の高市さんは選挙中に怪文書をばらまかれるなどの嫌がらせを受けたという。その中身は『県連幹部に夜な夜な性接待をしている』というもの。もっとも、当時の高市は特定の交際相手とヤリまくっていたようで身持ちは固かったのだが……」(県連関係者)

 その後、高市氏は無所属で立候補するも落選の憂き目を見る。時を経て、『週刊現代』誌上で俳優・山城新伍と行った対談の一節には、当時の破天荒な言動が綴られていた。

〈私ね、転んでもタダじゃ起きない。落選したけど、実は選挙中に“いい男”を掴んだのよ〉

〈選挙中から目ェつけてた人がいたの。だけど、ずっとガマンしてたの。(中略)開票日。敗北宣言の原稿を書こうと思ったときに、「待てよ。今晩、私は世界一悲しい女になれる日なんだわ」ということに気がついたの〉

〈その場から、「たぶん私、今日負けると思う。一緒にいてくれると嬉しいな」って、電話したんですよ。(中略)で、支持者が選挙事務所に詰めかけて、私のことを探していたときに、私はある場所に行ってて、いなかったというわけ(苦笑)。というわけで、まあ、いま私はすごく幸せというわけです〉

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 投開票日に選挙事務所に行くところをトンヅラし、恋い焦がれていた男と秘密の営みをしていたことを匂わすのだ。だが、そんな高市氏に間もなくチャンスが回ってくる。93年、衆院選に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選を果たした。

「無所属の高市がすり寄っていったのは、自民党を離党した政策集団『リベラルズ』のメンバー。柿澤弘治や後に夫となる山本拓と共に自由党を結党したのです。そして、自由党が海部俊樹を代表とした自由改革連合に参加したため、高市はその結党メンバーになった」(政治部デスク)

 その後、高市は新進党の結党に参加する。小沢一郎に急接近し、〝小沢の女〟として存在感を増していく高市。だが──。

「96年10月、小沢党首の下で高市氏は衆院選に臨み、再選。ところが、その翌月には突如新進党を離党したのです。〝やり捨て〟された小沢氏は、『あの女、尻軽すぎる』と怒りを通り越して呆れ果てていました」(自民党職員)

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