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「実は選挙中に“いい男”を掴んだのよ」高市早苗の尻軽すぎる過去

社会
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「87年、松下政経塾の推薦をもってアメリカ連邦議会に『Congressional Fellow』として派遣された。議員立法のために必要な調査や分析を行ったといい、2年間のアメリカ暮らしで現在のクセの強い英語力が身に付いたといいます」(政治部記者)

 高市は帰国後、テレビの世界で活路を見出す。89年4月、テレビ朝日『こだわりTV PRE★STAG
E』のキャスターに就任。傍らに座っていたパートナーが蓮舫だった。当時を知るテレビ関係者が言う。

「当時はバブル真っ盛り。広告代理店マンが幅を利かせ、テレビキャスターなどを愛人にしていた。連日、若いタレントが肉弾接待を繰り広げて仕事を取っている様を見た高市は衝撃を受けたといいます。当時、ウブだった高市は『全身全霊で捧げられる世界じゃないとそんな勿体ないことできない。だって、私にとってテレビの世界は腰掛け。知名度をあげて政治家になりたいだけだから』と熱っぽく語り、そういう女性たちを嫌悪していました」

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だが、その〝初心〟は全身全霊で捧げられる世界に飛び込むことで霧消し、身の捧げ方は180度変わっていった。政治家を夢見た高市氏は、地元奈良の権力者の懐に裸一貫で入り込んでいく。〝最初の男〟は、自民党奈良県連会長の浅川清県議会議長(当時)である。浅川氏は71年から奈良県議、後に奈良県議会議長を務めた「奈良県政のドン」。

だが、当時の時代背景もあって浅川氏は清濁併せ呑む御仁だった。山口組若頭補佐で奈良を本拠地としていた倉本組の倉本広文組長と親交を深め、倉本組長が発起人になっている政治団体のゴルフコンペに協力。「浅川清・自民党奈良県連会長」名義のトロフィーを出していたことが発覚し、メディアで批判を浴びたのだ。だが、そんな「強面」に対しても高市氏は怯まなかった。果敢に攻める際の顔が引きつるほどの愛想笑いは、当時磨かれたものに他ならない。

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