そして政権についた今、その支配欲は国家規模で拡張されつつある。スパイ防止法の制定、経済安保の強化、国家情報院の設立、どれも「安全保障」を名目に、国民の情報と行動を監視下に置く装置である。
それなのに、これまで「表現の自由の危機」に過剰なほど敏感だったはずのオタクたちは、なぜ沈黙しているのか。
SNS上を見渡しても、政府権限の拡大や監視法制への批判はほとんど見当たらない。むしろ、国家の力が強まることを「頼もしい」「日本もようやく目を覚ました」と歓迎する声すらある。一体どうして、あれほど検閲や規制を恐れていた人々が、これまでになく危険な政権の誕生に対して、およそ無頓着でいられるのだろうか。
そんな無見識の象徴的な例が、艦これ運営(C2機関)である。高市が首相に就任したその日に、彼らはSNSにこうポストした。
「そして今日は、私達の国、日本の憲政史上初となる女性の首相が誕生した、ある意味で実は歴史的な日です! 国際情勢も日常の暮しもタスク山盛りのとっても難しいタイミング、意欲のある女性首相が誕生したのは本当に意義深い気がします」
該当ポストを見ても、批判の声はほとんどない。
このポストは、旧日本軍を散々ネタにして商売してきた艦これ運営に、英霊への畏敬や思想というものは最初から存在しなかったことを如実に示すものだろう。
戦争の悲劇をキャラクター化して消費し、歴史の痛みを「推し」として楽しむ、その延長線上に、現実の政治や権力者までも「キャラ」として支持する姿がある。彼らは権力に対する批判的視点を失い、むしろ体制側の一員であることを誇らしげにアピールしているのだ。
なぜ、オタクたちはここまで体制に従順な親衛隊になっているのか。
それは、「自由」を守る戦いが、いつの間にか「自分が攻撃されない安心」を守る戦いにすり替わったからだ。与党所属のオタク議員として集票を行ってきた赤松健や山田太郎は、その安心を商品に変えた者たちである。

山田太郎の著書『「表現の自由」の闘い方』(星海社新書)。赤松健による、山田をヒーロー化した漫画も収録されている。
彼らは巧みに「表現の自由」という概念を、マンガやアニメといった自分たちの領域にだけ閉じ込めた。政治的発言や社会批判の自由ではなく、萌えやエロを守ることこそが自由の象徴であるかのように語り、複雑な政治課題を「選挙で投票すれば解決する」という単純な参加モデルへとすり替えた。
