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蛭子さんの名物編集者・手塚能理子②:根本敬の「蛭子能収タブーなし!但し『ぼぼ』は禁句」連載20

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それはともかく。
蛭子さんが明らかにおかしく、「認知症?」と私や高市さんが目を合わせたのは手塚さんのがんが分かり最初の入院をした直後のこと。
10年前になるのか。
蛭子さんの初単行本『地獄に堕ちた教師ども』を30余年ぶりに復刻することになっていた。装丁のキング・テリーこと湯村輝彦さんから1980年当時に蛭子さんが描いたカバーの絵を新たに描き直してもらい使いたいとの提案があり、それで久々に蛭子さんが絵を描くために青林工藝舎に来た時のこと。
場所が分からないとの電話があり私が迎えに行ったのだが、分からないと言いながら並んで歩くと蛭子さんのほうが数歩先に歩き、ささっと角を曲がり入り組んだ道を抜けて工藝舎に入っていった。
何だわかんじゃねえか、というのはそこまで。編集部に手塚さんは不在。そこで手塚さんががんで入院してしてしまったことを告げる。
財布を開いて「お見舞い」を包み「手塚さんへ」とそこまでは良かった。
問題はそれからだ。
作業中、おやつ&コーヒータイム、折にふれ、「あれ、入院したの誰やったっけ?」ときいてくるのだ。
その度に「手塚さんだよ」「何で入院したの?」「がんだよ」「えー! 大変やねえ」それを何回も繰り返すのだった。
場面として極め付けは、帰り際。またまた「入院したの誰やったっけ?」と。こちらが「だから手塚さんだよ」「あー、そうやった」
で、鞄を持ってドアまで5メートル歩く。そして「じゃあまたね」とお互い言葉を掛け合う。
そんな時に、ドアを開けながらまたまた「あれ、入院したのって誰やったっけ?」
この時、明らかに普通じゃないと私も高市さんも思ったのでした。
手塚さんは先にあの世へ行ってしまった。だが、今の蛭子さんはこの世もあの世も関係なく自由自在に行き来できるのではないか?
なら2人は既に会っていて、トンチンカンな話をする蛭子さんに今頃手塚さんが「まったくもー!」とツッコミを入れているかもしれない。
一応念押ししておきますが蛭子さんは生きてます。しかも元気で毎日オヤツを楽しく食べてます。
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PROFILE:
根本敬(ねもと・たかし)
特殊漫画家、エッセイスト。1981年に、『月間漫画ガロ』で漫画家デビュー。代表作に、漫画では『生きる』『怪人無礼講ララバイ』『龜ノ頭のスープ』、活字本では『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』など。

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