ある日の昼間、サムライに向かう途中の大久保公園周辺で、若いお洒落な女の子とそういう女の子と全く接点がなさそうなおじさんが微妙な距離で無言のまま連れだってどこかに向かっているのを見かけ「あれがそうなんだ」と思ったのが21年の後半だったような気がする。その後も、あの辺で座ってる女の子に老人が執拗に声をかけたり、入れ替わり立ち代わり男が話かけているのを通りすがりに見かけることはあったが、パラパラいるぐらいの認識だった。
23年に入ってサムライにライブを見に行く機会が久しくなく、あの辺を通る機会が久しくなかったのだが、夏に何かの用事で行くことがあった。日中、以前とは比べ物にならないほどに大勢の女の子が立っている周りに大量の男たちがウロウロしている様子に頭がクラクラする気分になった。暑かったのもあったとは思う。
今年の秋。サムライでライブを見た後、昼過ぎにハイジア脇の道を新宿駅方面に移動していたところ、地雷系の女の子が大久保公園の辺りから手を振ってきたことがあった。顔見知りのアイドルかと思ったが全く見覚えがないし、それ以外でそんな若い女の子の知り合いはいない。
回りを見ても他に人はいないから、自分に向けてのもののようだし、わけがわからない。もしかして客引きかと思ったが、こんな金のなさそうな人間に客引きするだろうか? 何か薬の売人に間違われたりしたのだろうか? 未だによくわからない。
大久保公園とトー横を一緒に考えている人もいる。しかしトー横界隈で大久保公園で立っている子もいることはあるのだろうが、基本的には別の事象だと考えたほうがいいと思う。トー横の子はアイデンティティにトー横という「場所」(概念)が組み込まれていそうだが、大久保公園周辺に立つ人たちにとって大久保公園は場所でしかないだろう。どちらもコロナ禍を経由することで露になった日本の社会の問題点を象徴しているのではあるけれど。
シネシティ広場が今後どうなるかわからないし、大久保公園周辺がどうなるかはわからない。ただ、その場所から追い払ったところで、根本の原因が解決しない限りは別の場所にいくだけだろう。そうかといって、野放しにできるかといえば実際問題としてそうもいかないわけで。ただ、トー横に関しては子供たちを追い払うよりも、彼らを取り込んで喰い物にしようとする大人たちを排除するのが大事なのではないだろうか。
「トー横」はコロナ禍と共に大きくなり、世間がコロナを忘れようとしている時期に消されようとしている。そして消えたところで何も解決されないし、何か変わるわけでもないだろう。
〈金曜連載〉
写真/Wikipediaより(撮影/Hanonimas)
謎のアンミカ・バッシング
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PROFILE:
ロマン優光(ろまんゆうこう)
ロマンポルシェ。のディレイ担当。「プンクボイ」名義で、ハードコア活動も行っており、『蠅の王、ソドムの市、その他全て』(Less Than TV)が絶賛発売中。代表的な著書として、『日本人の99.9%はバカ』『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コアマガジン刊)『音楽家残酷物語』(ひよこ書房刊)などがある。
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