2011年の3月11日、次の日にフロム中武立川店の屋上で行われるももクロのライブを楽しみにすごしていた。国立川競技場とよばれたフロム中武で1回目、2回目と伝説的(あの頃の中ではというところだが)なライブが行われ、ももクロファン(あの頃はモノノフという呼び方もなかった)にとって重要な意味を持つ場所での3回目のライブだった。
早見あかり脱退の発表以降、あかりんのオタクは「あかりん脱退の日に俺も死ぬ」ぐらいの勢いで突っ走っている人が多く、そこに引っ張られるかのように現場自体も異常なテンションになっていた。
そして、あの日、東日本大震災がおこり、3回目の国立川は永遠に失われてしまった。
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東日本大震災
震災後、色々と不安を感じる日々が続いた。そんな時に思い出すのが夏菜子の笑顔だった。なんとなく安心した。なんとなく大丈夫な気がした。あの不安な日々を支えてくれたのは間違いなく百田夏菜子という人の存在だった。
百田夏菜子という人は太陽のような人で、その太陽は自分のように心が狭く偏屈で陰気な人間にも平等に光を降り注ぐ、そんな太陽だ。
推しの脱退、ももいろクローバーZに改名以降のグループの方向性の変化、単純にライブのチケットがとれないといった理由から徐々に足が遠のき、だんだんと私立恵比寿中学にメイン現場が移り、さらに地下アイドル現場で色々なグループに出会っていくことになるが、それはまた別の話。
方向性が変わったのは運営の問題であって、メンバーが変わったわけでなく、グループの方向性に付いていけなくなっても、相変わらずメンバー自体は好きだった。積極的に追わなくなった今でも、テレビでももクロのメンバーを見たり、ラジオで声を聴くとやっぱり嬉しくなる。
最近もテレビで夏菜子を見かけた時、妻(妻もあの頃のももクロが大好きだったというか、自分より後まで追っかけていた)と「夏菜子ははたして恋愛をしたりするのだろうか」という話をしていたのだが、というか、ここ何年かよくそういう話をして心配というか何というかそんな感じだった。
あかりんは普通に大人になって恋愛して結婚したりするんだろうなと思っていたし、実際にそうなった。あの頃の夏菜子のイメージと恋愛はほど遠かったし、何年たってもメディア越しに見るあの人はあの頃のままだった。いや、確かに大人になっていってるのだけど、そういうところは本当にあの頃のまんまに見えていた。
そういう中での今回の報告。良かったと自然に言葉がでてきた。