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米山隆一がひろゆきとの“口喧嘩”を振り返る「論破王を論破してしまいました…」

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前述の通り一旦ブームになって成功してしまえば、あれこれ理屈をつけて「成功した理由」を探すことは幾らでも可能ですが、そんなものは所詮後付け。冷静に見てひろゆき氏は何程も、新しいものの見方を提示している訳でも、世の中の問題に鋭い視点で切り込んでいる訳でも、何か専門的な知識を教えてくれる訳でも、他人から有意義な議論を引き出している訳でもありません。ただ単に眼の前の偉そうな人の言をまぜっかえして馬鹿にし、冷笑して楽しんでいるだけです。

しかし、率直に言ってそれは、面白いのです。大体もって人は、人の争いごとを見るのが好きです。プロレスがその典型ですが、多くの格闘技もスポーツも、実はあれは「人が闘っているのを見る」のが楽しいんだと思います。

政治は常に新聞の一面を飾るニュースですが、それは政治が私たちの生活に関わる重要事項だからというだけではなく、政治という権力闘争の場を見るのが、面白いからという面も大きいと思います。そしてその「人の争いごと」の中で、「権威の失墜」こそ、実のところ多くの人にとってこれ以上なく楽しいコンテンツで、私の妻などは、「選挙特番って、落ちた大物の選挙事務所の様子を見るのが一番楽しいよね。そういう場面になると、次々局をはしごして見ちゃうよ」と正直に公言しているところです(笑)。

近年流行りの「討論番組」は、討論そのものの中身もあるでしょうが、それと同時に、「口喧嘩」を見る楽しい見世物の一環であり、ひろゆき氏は、その中で、口先一つで次々と「偉い人」をなぎ倒すスターだった訳です。

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討論という名の口喧嘩の問題点

ところがこの「討論という名の口喧嘩」には、他の格闘技やスポーツ、そして選挙にはない大いなる欠点があります。討論には、本当に討論する気のある人やそのトレーニングを受けた人が大体共有している暗黙のルール(相手の話を遮らないとか、相手の主張をまず受け止めるとか)があるのですが、そもそもそれ自体が暗黙のルールに過ぎないので、ここに「討論なんて最初からやる気なく口喧嘩だけをする気の人」が参入すると、それを適正に捌く審判がいない限り圧勝してしまう上、まるで「口喧嘩」をした人が正当に「討論」に勝ったように見えてしまうのです。

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