やたら強くて性格の悪いヤクザ・ロケマサが主人公の『ドンケツ』。ほとんど悪い奴しか出てこない『ドンケツ』の中で異彩をはなっているのがロケマサが籍をおく弧月組に飼われている汚いジジイのヒットマン・ 槙原行雄だ。渡瀬組長への異様な忠誠心と過剰な自己鍛練、殺人に対するハードルの低さはヤクザとも明らかに異質で、ロケマサが野性の本能に忠実なアウトローだとしたら、槙さんは生き物としての本能が壊れたアウトサイダーで全く正反対の生き物であり、その非人間的な佇まいが光るキャラだ。
ロケマサやチャカシンなどの暴力の化身のようなヤクザたちからは蛇蠍のごとく嫌われている槙さんだが、あれは本能的な部分から生まれる本質的に異質なものに対する嫌悪感なのだろう。まあ、槙さんは全てが気持ち悪いので仕方がない。
『幽遊白書』フォロワーの漫画は数多く存在し、一つのジャンルといっていいぐらい盛況を極めた時期があるのだが、『烈火の炎』という作品はその象徴的な作品の一つであり、突出したオリジナリティはないが安定したクオリティはあり、破綻したところもないというブーム時に供給される漫画の典型といった作品だ。既視感のある人物造形のキャラクターたちが多数登場し、特に深堀りされるわけでもなくわかりやすい言動をとるわけだが、表層的な人物描写によってある種のリアリティを獲得したのが永井木蓮だ。
自己中心的なサイコパスでサディストの小悪党。本来なら序盤で消えるタイプの敵でしかないのだが、そんな彼が全く改心することなく最後まで主人公たちの邪魔をし続ける。特に人間的な成長もしないし、「実は悲しい過去が…」みたいな話もなく、別に同情するようなエピソードも出てこず、徹底してただのクズのままの木蓮の潔さ。あらゆる描写が薄っぺらいのだが、それによって「実際のシリアルキラーも幼稚で薄っぺらい奴が多いもんな」と思わせられ、変なリアリティが生まれ、物語中最も生き生きしている。後半、同じタイプの悪党・命とカップル化するのだが、2人がひたすら下劣に人生を生き急ぐ姿は妙にすがすがしい。いいところがない、ただのクズであるところの2人を産みだしたことが『烈火の炎』の最大の成果だと信じている。
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文/ロマン優光
画像/『魔人探偵脳噛ネウロ』20巻(松井優征/集英社)
初出/『実話BUNKA超タブー』2024年5月号