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吉田豪が駕籠真太郎先生にインタビュー!

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駕籠 破李拳竜さんとか、有名どころもけっこう描いてましたけど。そこでも女の子が戦って血みどろになる、みたいな漫画を描いてて、そういう意味では楽しかったですね。

——メジャーな雑誌に興味はありました?

駕籠 メジャーは『ヤングジャンプ』に持ち込みは行ってて、ああいうメジャー誌って基本的に、いきなり持ち込んでよかったら即採用というのはなかなかなくて。担当編集はついたんで、とりあえず賞でも獲ってからデビューのほうがいいって言われて。その編集さんのアドバイスに従って、とりあえず賞狙いでネームを描くことになって、そのときに青年漫画大賞だったかな? ちょっと忘れちゃいましたけど、そんな感じの賞を獲って。

——お、賞は獲ったんですね。

駕籠 手塚賞とかそんなのじゃないですよ。

——でも、賞金は出るレベルの賞。

駕籠 出てます。たしか準入選とかそんな感じ、1位じゃなくて2位ぐらいで、賞金70万ぐらいでしたけど。ただ、それですぐに連載できるわけではなく、とりあえず修行の意味も兼ねて荻野真さんのアシスタントに。

——そういう流れなんですね、なんで荻野真先生だったんだろうと思ったんですけど、『ヤンジャン』経由ってことなんですね。

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駕籠 ええ。他の人もそうだと思いますけど、修行と、あとバイトにもなるので。そのときは『孔雀王』は終わって『夜叉鴉』という連載がちょうど始まるときで、ほぼ1話から本誌の連載が終わるまでずっとアシスタントをやって、2年か2年半ぐらいですかね。

——収入的にはいい感じだったんですか?

駕籠 アシスタントに入ったら18万から20万ぐらいは入ったんで、ふつうに生活は。

——ヘタに連載とかやるよりもよかった。

駕籠 ぜんぜんよかったと思いますね。額はそうでもないですけどボーナスも出てましたから。お金の面はちゃんとしてたみたいで。

——集英社のパーティーとかも行けて。

駕籠 そうですそうです(笑)。「プロの先生いる!」みたいな感じで。ただ、週刊連載のアシスタントをやってるおかげで、キツすぎるから週刊はやるもんかって逆に思っちゃいましたけど。アシスタントレベルでもこんなにつらいんだから、先生になったら相当つらいんだろうなと思いましたから。だから荻野さんももともと体は悪かったらしいんですけど、59歳で亡くなったからかなり早いですよね、心臓が悪かったらしくて、体ボロボロになりながらやってたらしいですけど。

——水木しげる先生がよく言ってたように、漫画家は休まなかったら死にますからね。

駕籠 そうですよね、手塚治虫さんも藤子・F・不二雄さんも早くお亡くなりになっちゃってますからね。それでもメジャー誌でやるかやらないかっていったら、やっぱり目につきやすいですし、やれるんだったらやりたかったんですけど、結局何回かネーム持ってっても連載にはならなかったんですよね。

——あきらかに媒体に合わなかったから?

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