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吉田豪が駕籠真太郎先生にインタビュー!

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——なぜなら原稿料が出ないから(笑)。

駕籠 そうですね(笑)。イタリアの出版社、弱小なんですけど、そこから描き下ろしは10年ぐらい前からやってて。そこは基本ネームチェックないので。こんな感じのを描いてくれっていうリクエストはあるんですけど、それに沿って、たとえば「時代劇をモチーフにしてくれ」とか、そういうざっくりとしたリクエストはあっても、内容に関してはほぼタッチしないというか。ネームも特に送ってもいないですし、こちらとしても、なんとなくこういうのを望んでるんだろうなっていうことで、ちょっと見せ場的にグロ要素を入れてやれば結果的にダメっていうことはないので。今年(=2023年)も一応11月発売に向けて描いてはいるんですけど。それをずっとやれてるというのは希望に沿ってるのかなって。

——漫画家って続けていくことが一番難しい職業だと思っていて。デビューする人はものすごい多くても10年後に残ってる人が何人いるのか、みたいな世界じゃないですか。

駕籠 そうですね。それだけで仕事として続けていくのはやっぱり難しいですよね。

——ホントに適材適所というか、結果的にいいところにたどり着いたんだと思います。

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駕籠 そうですね。なんだかんだいって結果的にやりたいことをやれてるのかなって。東京三世社でやってた雑誌はある程度まで続いてはいたんですけど、僕が30歳ぐらいのとき太田出版から単行本を出さないかっていう話があって、単行本を出すという話と、ちょうどそのとき『マンガ・エロティクス・エフ』というエロをテーマにした雑誌を作る、それに描いてくれないかっていう依頼がほぼ同時にあったんですよ。太田出版の雑誌のコンセプトで、要するに抜けるではなくてエロをテーマにするのってちょっとおもしろいなと思って。じゃあ抜けなくてもいいんだっていうのがあったんで、そういう意味では描きやすかったのかな。それでかなり読者層が広がったのはありますから。特にあれって半分ぐらい女性読者だったので、女性の目に触れたことはかなり大きかったと思います。

——そうなんですよね。あの時期、サブカル好きの女子が本当に読んでましたから。

駕籠 そうなんですよね。そのおかげで、わりと順調に単行本を出すようになって。しばらく太田出版から連続して出してましたね。

——ちょうどエロ本が落ち始める時期のダメージをそんなに受けずにシフトできて。

駕籠 そのダメージは受けてないですね。いわゆる抜けるエロを描いてたひとりだったらダメージ受けてたのかもしれないですけど、いわゆるエロ漫画でもサブカル要素の強いのを描いてた、たとえば町野変丸さんとか町田ひらくさんとか、ああいう人たちがちょうど『エロティクス』とか太田出版に流れてきて、そのへんの波に乗ってたのかなって。悪趣味ブームはもうちょっと前ですかね。

——90年代半ばぐらいですからね。悪趣味ブームの中心にもいなかったわけですよね。

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