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日本のメディアを腐らせた「メディア界のドン」ナベツネの大罪

社会
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ナベツネと言えば一般的に知られているのは読売巨人軍のオーナーとしての顔だろう。日本プロ野球史上でも最悪のヒールとしての存在感は良くも悪くも球界に影響を与え続けた。巨人の大衆人気を背景に長く球界を支配し、様々な場面で暗躍してきた根底にあったのは「巨人ファースト」「読売ファースト」の意識。あくまで自分たちの利益だけを追求してきたのがナベツネだ。

オーナー時代は巨人が勝てば上機嫌、負けると不機嫌になるといったエピソードが知られていたが、だからといって野球ファンだったというわけではない。ナベツネの野望は常に読売グループの覇権にあり、巨人は読売新聞の宣伝・販促ツールでしかなかった。強い巨人が話題になれば、それだけ読売グループの宣伝になるというわけだ。

実際、ナベツネはもともと野球に興味を持っていなかった。正式に読売巨人軍のオーナーとなったのは1996年だが、87年に読売新聞の筆頭副社長に就任した際、巨人内部で設立された最高経営会議のメンバーに選ばれている。ただし当時のナベツネは野球の知識はほとんどなかったといい、球場で試合を観戦しながら周囲の部下たちに「打った選手は3塁に走っちゃいかんのかね?」と聞いたという逸話が残っているほどだ。

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それでも読売グループのため、ナベツネは政治力を駆使して暗躍する。たとえば93年に導入されたFA制度も、先頭に立って導入を主導したのはナベツネの指示を受けた巨人だった。FAの導入を進めたのは12球団の戦力均衡やプロ野球全体の発展というわけではなく、あくまで巨人が他球団の主力選手を獲得しやすくするためであり、当時の巨人にはまだそれをゴリ押しするだけのブランドや資金力があった。

「このFA導入は、浪人中だった長嶋茂雄を監督に復帰させたがっていたナベツネが、巨人の戦力を増強させるために推進したといわれています。今でこそFAは選手の権利として認知されていますが、当時は大金を出せる人気チームが圧倒的に有利でした。要するに巨人が金で有力選手を集めることを可能にするための制度だったんです」(スポーツ紙記者)

当時は他球団も収入の大半を巨人戦の放映権収入に依存しており、巨人が球界を支配する構図が出来上がっていた。巨人はこうした人気を背景にやりたい放題で、江川事件に代表されるようにドラフトの裏では裏金や密約が飛び交っていた。

こうした体質をそのまま受け継いだナベツネは、野球ファンにとってまさに絵に描いたような悪役だった。 球界におけるナベツネのヒールぶりを世間に知らしめたのは2004年に勃発した一連の球界再編問題だ。

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