最初に食い込んだ政治家は衆議院議長や自民党副総裁を務めた大野伴睦。ナベツネは大野の番記者として政界の裏工作に深くかかわるようになっていく。
「ナベツネは大野の子飼い記者として自民党の派閥政治家たちへの裏金配りなどを手伝っていたそうです。本人も『100万円ずつ配って歩いたが、一枚も抜かなかった。俺は一銭も着服しなかった』と自慢していましたが、今なら大問題でしょう。他にもインタビューで『自分にとって最大の苦しみは、伴睦さんからもらった機密事項を特ダネにできなかったことだ』と語っていますが、これも新聞記者としては失格ですね」(前出・政治評論家)
ナベツネは回顧録の中で「僕は、新聞記者というものは権力の内部に入り政治権力がいかなるもので、どういうふうに動くのかを知らなければならないと思うんだ。中に入らなければ、事実は書けない」と偉そうに書いている。
だが、実際には記者として得た情報を使って暗躍するプレイヤーとして政治とかかわってきたわけで、現代のコンプライアンス基準で考えれば完全にアウトである。 大野との関係をきっかけに政界に人脈を広げていく中、ある大物政治家との出会いがナベツネの権力を決定的にする。後に首相となる中曽根康弘だ。
「読売新聞のボスだった正力松太郎が政治家となっており自民党の総裁選に出たのですが、その際に参謀役を務めていたのが中曽根です。ナベツネは2人の連絡役を務めることで中曽根と親しくなり、中曽根を将来の首相候補と見込んで様々な支援を行うようになりました。たとえば当時の日本は世界唯一の被爆国という歴史もあって原子力の議論がタブー視されていたのですが、原発推進派だった中曽根のため、読売新聞だけは『平和の原子力』というキャンペーンを張って中曽根を援護しています」(前出・政治評論家)
中曽根が総理になると、自民党の総裁選から日韓国交正常化といった外交問題に至るまでナベツネはより露骨に中曽根政権を支えるための様々な政権工作に暗躍するようになる。