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フジテレビを支配する日枝久の裏切りと独裁

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今回のフジの対応のまずさも、日枝の方針に従った結果だ。社員説明会で港氏らが辞意を伝えたところ、日枝は「こんなことで負けるのか、おまえたちは」などと一喝したとも報じられている。

「他の取締役が変わっただけでは日枝の独裁体制に微塵も影響はありません。日枝自身は身を引くつもりはサラサラないようで、大失敗だった会見後の取締役会でも日枝の辞任は議題にも上がらなかったそうですから、いかに社内で恐れられているかが分かります」(全国紙記者)

それにしても不可思議なのは日枝の権力の源泉だ。前述したように、すでに役職的にはフジ・メディア・ホールディングスのトップではなく、フジテレビの創業者一族とも関係はない。株保有比率も約0・1%と大株主でもない、いわゆるサラリーマン社長である。では、そんな日枝がなぜフジテレビで権力を保持し続けているのだろうか。

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クーデターで権力奪取

日枝は1937年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部に入学しており、同期には森喜朗がいる。卒業後の日枝はまだ創設されたばかりだったフジテレビに入社し編成局に配属されている。労働組合の結成にも携わり書記長に就任しているのだが、当時の社長だった鹿内信隆は経営に目障りだった労組潰しを画策。番組制作部門を丸ごと関連会社に移管し、日枝も左遷させられるなどしたという。

それでも最初に編成局に配属されたことはラッキーだった。編成局はテレビ局内で番組編成の権限を持つ中枢部門であり、日枝は一貫して編成畑で働くことで局内を掌握する組織の論理を身に着けていったからだ。編成マンとしての日枝は視聴率至上主義の権化のようなタイプだったという。

最初の転機となったのは80年。この年、代表取締役副社長に就任した鹿内春雄に抜擢され42歳の若さで編成局長に就任する。当時のフジは大株主の鹿内一族が支配しており、鹿内がワンマン経営者として君臨していた。その後見を得たことで日枝は出世の階段を駆け上がることができた。

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