ニュー・ウェイヴとポスト・パンクは80年代には同じ意味の言葉として使われることが多く、ポスト・パンクという言葉が定着していなかった日本ではエルビス・コステロからThrobbing Gristleまで大まかには同じニュー・ウェイヴの中に入っていた。
現在ではニュー・ウェイヴはその中でもポップな方向のものを指し、ポスト・パンクはより実験的なスタイルのもの、アート的手法が導入されたものを指すことが多いが、ここからここまでがニュー・ウェイヴでここからはポスト・パンクと明確に線引きできるものでもない。
様々なスタイルを内包するニュー・ウェイヴであるが、ポップなものにしろ、実験的なものにしろ、従来のロックに対する再解釈であり、従来のロックになかった新しいリズムの導入(ファンクやレゲエへのメタな取り組み等)、シンセサイザーなどの新技術の導入といった要素が含まれているバンドが多い。ポップ・グループのようなアヴァン・ファンクは非常にわかりやすい例だが、ネオ・アコースティックはソウルに対するパンク的な再解釈であるし、シンセ。ポップは従来の楽器の音をシンセサイザーに置き換えることによるロック/ポップスの再解釈であり、当時のポスト・モダン的な言説と相性がよかったムーブメントである。
パンクムーブメントの功績の一つである「誰もがバンドをやることができる」という精神はニュー・ウェイヴムーブメントでも大きな役割を果たしており、演奏能力のないもの、再現能力がないものが既存の音楽アプローチに取り組もうとしてバグが発生したり、取り合えず何かやってみた結果として聴いたことがないものが偶発的に生まれたりするようなことが起きていた。その多くは単なる失敗に終わったわけだが、いくつかは一つのスタイルとして定着していくことになった。そういった部分がニュー・ウェイヴムーブメントの一つの側面であったことも忘れてはいけないだろう。ニュー・ウェイヴのバンドの中にはDEVOのように70年代中盤から活動をしていたようなちゃんと演奏ができるバンドもいれば、Television Personalitiesのように本当に初心者のバンドもいたのである。
ニュー・ウェイヴと言いながら本当に新しいかと言えば、よく考えるとそうでもなく実験的なサイケバンドやプログレ、特にクラウトロックの影響が強いバンドも多いのも忘れてはならないだろう。
ムーブメントとしてのニュー・ウェイヴ(ポスト・パンク)の終焉については、80年代後半からのマッドチェスター・ムーブメントや87年のアシッド・ハウス・ムーブメントのあたりで、このあたりからは別のものだという認識である。
日本では98年にリリースされた『東京NEW WAVE OF NEW WAVE ’98』というコンピレーションに参加していたバンドの多くがP-MODELやプラスチックス、DEVOといったバンドの影響の強いテクノポップ・リバイバルのバンドであり、それ以降はニュー・ウェイヴ=テクノポップであるかのような認識の人も多いようだが、本来はそういう狭い範囲を指す言葉ではない。