自分の絵柄に関しては権利意識が高い
今回、大きな炎上になったのは最初の江口氏の投稿が金井氏に対して全く謝罪しておらず、なぜか金井氏を応援してあげてとか言い出す珍妙なものだったのも大きいだろう。
「どの面下げて、お前がそんなことをいう?」と思われたのでは。
80年代には、末松正博氏の『右曲がりのダンディー』に対して絵柄が自分のパクリであると怒っていたことがあった。
花沢健吾氏や浅野いにお氏の作品の背景が写真や映画そのまんまであると批判したり、ネット上の画像の権利に対する意識の低さに対して批判したこともある。
花沢氏・浅野氏に対する発言は背景が自分の線になっていないという批判でトレースという技法自体に対する批判ではないとは思うのだが、そんなの作品によって必要となる背景はちがってくるし、作風の違いでしかないのに何を言っているかと当時思った。だいたい連載作品をまともに終わらせたことがほぼなく、既にまともに漫画を描けていない江口氏が、雑誌連載を現役でやってる人に対して威丈高にそんなことを言うのはどうかと思う。江口氏の配偶者である元アイドルの水谷麻里氏にも今漫画を描いてない人が言えることじゃないと指摘されたというが、それは指摘されるだろう。
一般の人の江口氏風のイラストを描いたというTwitter上の投稿に単なる自分の模写であると嚙みついたこともあったが、商業目的でもない一般の人の絵にそんなに怒るのも、変だし、これまた「お前は何なんだ」という話になってしまう人も多いだろう。
自分の絵柄に関しては非常に権利意識が高いが他人のそれには無頓着な身勝手な人間というふうなイメージを持たれるのはしかたがないのでは。
ようするに感じが悪いのである。
基本的には、雑誌やネットで見かけて気に入った写真があれば許可を得て制作すればよかったし、自分やスタッフで撮った写真をもとにすれば何の問題もない。水谷麻里氏にそういう写真で見たような服を着てもらい、ポーズをとってもらってスケッチしてもいい。そのための被写体を雇ってもいい。それでよかっただけの話なのである。
EDWINとのコラボイラストにLevi’sを吐いた女性の写真をもとにしたイラストを納品するのも驚きだが、「famicom」というタイトルの作品に描かれているファミコンが近年発売された互換機なのも適当すぎなだけだろう。