だが、後に、片山氏も約3年前に国会議事堂内でファッション誌『美人百花』(07年11月号)の写真撮影に応じていたことが発覚し、見事なブーメランとなって返ってきた。これに対する片山氏の反論が奮っている。
「私は蓮舫議員と違って大臣になったことがない」 「蓮舫議員は参議院内で認められていない私的な活動のための撮影でしょ。私が当時属していた衆議院では、そうした撮影も認められていた」
これには、普段他人に牙を向けることを生き様にしてきた蓮舫氏も唖然としたという。
自意識過剰なパワハラ女としての顔以外にもう一つの側面がある。片山氏は遅刻魔として知られているのだ。15年3月30日、自身が委員長である参議院外交防衛委員会理事懇談会に遅刻し、審議が中止に。片山氏はこれについて4月2日の同委員会において陳謝したが、これが大問題に発展した。
「委員会での大遅刻は2度目。当時、自民党参議院幹事長から厳重注意を受けていました。また、メディアに囲まれた自民党幹部は『次、同じことがあったら、辞めてもらう』などと批判。ところが、それに対して片山氏は自分の寝坊には目を背け、『秘書のスケジュール管理が悪い』と他罰的に秘書を攻撃したといいます。『他人に厳しく、自分に甘い』を地でいくタイプなのです」(元スタッフ)
今まで事務所を去った秘書は、ざっと50人。まさに異常な数字ではないか。
こうした悪評が永田町に轟き、片山氏は長らく暗黒道を歩んだ。落選を経験後、参議院に鞍替えした後、ようやく初入閣を果たしたのは初当選から13年後のこと。18年10月、第4次安倍改造内閣で軽量級の内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革、男女共同参画)および女性活躍担当大臣に就任したのだ。
