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冬季五輪という富裕層による富裕層のための醜悪イベント

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「ジャンプ界は昔から完全に欧州勢が牛耳っていますからね。経済力で名誉白人枠に入れてもらっている日本にしても、日本勢が強くなるたび、体格のいい欧州勢が有利になるようにスーツや板のルールが変更されています。白人勢が活躍すれば、選手がCMをしているスポンサー企業の商品やサービスが売れて大きな金が動く。逆に日本勢が勝っても、欧州の経済は動かないため旨味がないんです」(前出・スポーツジャーナリスト)

ボブスレーやリュージュといったソリ競技に至っては、もはやスポーツかどうかも怪しい。フェラーリやBMW、マクラーレンといった自動車メーカーが開発に参入し、1000万円を優に超えるカーボン製のソリを、F1さながらの風洞実験室でミリ単位の調整にかける。勝敗を決めるのは選手の筋肉より、スポンサー企業のエンジニアリング能力と、それを支える国家の財政力だ。かつてジャマイカのチームが五輪に出場して喝采を浴びた映画『クールランニング』のような物語は、単に金持ちが貧乏人を見下して笑っているだけの話なのだ。

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ここまでくれば、冬季五輪がいかに貧者を排除したイベントかがよくわかったはずだ。結局、冬季五輪とは一部の金持ち国家が、自分たちの経済力と最新技術を誇示し、選民意識を確認し合うための「貴族の運動会」なのだ。貧困に苦しむアフリカや東南アジアの子供たちが、テレビの中で繰り広げられるハイテクな雪遊びを見て思うのは、「憧れ」ではなく、埋めようのない「絶望」と「疎外感」だろう。

いや、もはや冬季五輪に限らず、オリンピックというイベント自体が、国際オリンピック委員会(IOC)を中心とした巨大な利権装置と化していることなど世界中の人間が知っている。実際、日本で2030年冬季大会の札幌招致が市民の猛反対によって断念したのも、商業主義と差別にまみれた現代五輪の「呪い」から目が醒めたからだ。オールドメディアがどれだけ煽っても盛り上がらないのは当然なのだ。

 

初出/実話BUNKAタブー2026年4月号

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