初めて彼らのアルバムを聴いたのは誰か友達の家でのことだったと思う。
90年代の中盤から後半にパンク/NW以前のバンドをプロトパンクとしての観点から聴きなおすということをやっていたのだけど、楽曲の構造に視点を向けるのではなく、「なんだかわからないけど何かおかしなことが起こっている」ということを中心に聴いていくと、ダモ鈴木に焦点があたることに当然なる。そして、単純に「かっこいい!」と思う瞬間が何度も訪れることになる。そう、ダモ鈴木がCANに残したものは単純にかっこいい。
ここ数年は日本語(の)ロックの先駆者という解釈から聴くようにしていたのだが、日本語ネイティブだからこそ感じられるものがそこにあるのだと思っている。逆に当時の欧米言語圏の人間にとって、どのように聞こえていたか興味があれば、こればかりはわからないだろう。
90年代に音楽シーンに復帰し、00年代以降はダモ・スズキズ・ネットワークとして世界各国でミュージシャンを現地調達して即興ライブをする活動を精力的に行っていたダモ氏。参加ミュージシャンについて事前に情報を得るようなことをせず、ライブの場で初めて合わせるというやり方をしていたという。
自分の友人で、かって杉並区にあった音楽スタジオ・ミスティの店員であったSさんがダモ・スズキズ・ネットワークに参加したことがあった。当時、Sさんは表立った音楽活動をあまり行っておらず、彼と仲のよかったDMBQのメンバーの誘いで参加したと記憶しているが、そのような人が参加できるのが、ダモ・スズキズ・ネットワークの良さであり、ダモ氏の凄さだろう。
個人的には一緒に『AKIRA』ごっこ(30才を越えた男二人でシャボン玉を吹き、落ちてきたシャボン玉を手にのせて「鉄雄…」とつぶやくだけの遊び。Sさんの考案であり、彼のセンスの良さがみなさんにも伝わるであろう)をしていたSさんがダモ鈴木と即興をすることに、「なんだかわからないが凄い!」という不思議な感慨をおぼえていた。
ダモ鈴木という人は生涯を通して非音楽家であり、彼のやってきたことは「現象」であり「状況」をつくるということであった。それはパフォーマンス・アート的なものというより、いわば「生活」と呼ぶべきものだったのではないか。「現象」や「状況」をステージ上で強く表出させる演者はいるが、ダモ鈴木ほどその部分に意識的にこだわり続けた人はいないのではないだろうか。彼自身がひとつの「現象」だったと思う。
〈金曜連載〉
画像/CAN『Tago Mago』