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無実の罪で何十年も拘束された胸クソ冤罪事件簿

社会
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そもそも第1審で提出された合計45通(!)もの自白調書の44通は無効として1通しか採用しなかった時点で裁判官も疑問を抱いていたんじゃないの? 以上により、これは「袴田事件」ではなく検察の捏造により無実の民が長期間拘束させられた最低最悪な 「拷問監禁事件」である。

さあ、どう落とし前を付けてくれるんだ。検察さんよぉ……ん?  最高検察庁の畝本直美検事総長は談話を発表。「判決は多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容と思われる」とした一方で「袴田さんが結果として相当な長期間にわたり、法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、検察が控訴するのは相当ではないとの判断に至った」とした。

いやいや、法的地位が不安定な状況に陥れたのはあんたら検察だよね? なのになんで「この辺で勘弁してやるよ」みたいな言い方ができるの? バカなの?  死刑確定した事件が再審で逆転無罪となったのは、戦後5件目。これ以前の4件、いわゆる「四大冤罪事件」の顛末を見ていただければ、この検察の態度が正気ではないことがおわかりいただけるであろう。

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無罪を死刑にした四つの大罪

1948年12月29日、熊本県人吉市で一家4人が殺傷される強盗殺人事件が発生した。容疑者として逮捕されたのは免田栄氏。俗に言う「免田事件」である。  51年12月、自白が主な決め手で死刑確定。それから35年後、83年7月、逆転無罪となった。

誤判の原因は何か?  捜査機関は別件の窃盗事件で免田氏を逮捕。暴行、脅迫、誘導、睡眠を取らせないなどで自白を強要した。

免田氏は裏付けのある移動証明書などでアリバイを主張するもすべて無視(!)。 「特殊飲食店の女性と遊興していた」というアリバイもあったが、その女性に免田氏と居たのは「事件の翌日」だと嘘の証言をするように警察は誘導した。 え? そこまでする?

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