さらには再審請求中に凶器の鉈、マフラー、手袋などの重要証拠を国が紛失。「ごめーん、なくしちゃったぁ」で済むかーい! 最初から免田氏を犯人に仕立て上げる気マンマンの冤罪事件であった……もしや警察は免田氏に何か弱みでも握られてたとか? 人吉警察署の刑事が売春の手伝いをしているのを免田氏が知ってしまったから犯人に仕立て上げられたという説もある。
50年2月28日、香川県で発生した強盗殺人事件。1人暮らしの62歳男性が刃物で30カ所以上を刺されて失血死した。俗に言う「財田川事件」である。
容疑者とされたのは地元の素行不良者であり、同年4月に隣村で発生した強盗致傷事件で逮捕された谷口繁義氏。その後は別件逮捕がくり返され、24時間管理下に置ける代用監獄にて自白を強要された。物的証拠とされたのは被害者と同じO型の血痕が付着しているというズボン。再審請求時にこのズボンを含めた証拠の提出を裁判所が求めたが、検察が紛失している。 よくなくすよねぇ~。 57年の死刑確定から27年後の84年に無罪となった。
55年10月18日、宮城県志田郡松山町(現・大崎市)で火災があり、一家4人の焼死体が発見された。俗に言う「松山事件」だ。 殺人・放火事件の容疑者とされたのは隣村出身の斎藤幸夫氏。60年に死刑確定も84年7月、無罪に覆った。
無実証明の肝となったのは再審請求中に裁判官の勧告で検察官が開示した3つの証拠。1つ目は物的証拠とされていた「掛け布団の血痕」が事件直後にはなかったという鑑定書。2つ目はその血痕がない掛け布団の写真。 はい、捏造確定! 3つ目は斉藤氏と同じ留置所にいた前科5犯の男性をスパイとして利用して、「ここ(留置所)に来たら、やってないことでもやったことにして早く出たほうがいい。警察の取り調べで罪を認めても、裁判で否定すればいい」とそそのかさせたことがわかる供述調書。 エグいことすんなぁ……ていうか、あからさまな無罪の証拠を残していた検察は偉い(偉くない!!)