後にわかったことだが、幸浦事件では犯人の自白によって発掘されたはずの遺体遺棄場所を警察があらかじめ把握しており、秘密の暴露が捏造されていた。なお、自白時も手や耳に焼き火箸を押し付けるなどの拷問が行われていた。
二俣事件では現場に残された指紋と容疑者とされた少年の指紋が合致しなかったり、少年の着衣や所持品から被害者一家の血痕が検出されなかったり。裏付けのあるアリバイも無視するなど、無実の証拠を度外視して拷問による自白だけで起訴に持っていっていた。
小島事件においても直接証拠は何もなく、殴る蹴るなどをくり返す拷問による自白しかなかった。この小島事件の控訴審が進む中、53年に最高裁では二俣事件の死刑判決が破棄差し戻しとなる。その後、57年に幸浦事件も死刑判決が破棄差し戻しとなり、小島事件で焦点となっていた物証の乏しさと被告人の自白のみが重要証拠とされていたこと。
さらにいずれの事件でも被告人らは取り調べでの拷問を訴えており、捜査に当たったのが紅林を主任とした強力犯係の刑事らだったことから、紅林麻雄は名刑事から一転、「昭和の拷問王」と呼ばれるようになった。非難を受けた静岡県警上層部は二階級降任を決めた。
前述の島田事件を含め、少なくとも4つの冤罪事件を引き起こした紅林。幸浦事件が逆転無罪判決となった63年に脳出血で死去した。紅林亡き後、静岡県警の刑事たちはどうなったかというと、当時の広報誌に紅林の部下が書いた記事にはこうある。
「推理をおろそかにしてはいけない。有形証拠に頼り過ぎるな」 えーと、「己が描いたストーリー通りの犯人に固執せよ。物的証拠なんて後からどうにでもなる」ってことですよね? 何も変わってねぇ~。 ちなみに冒頭の袴田事件改め、拷問監禁事件は紅林死後の66年、静岡県警の管轄で起きている。
証拠隠蔽&捨てる警察の大罪
もちろん、この拷問による自白強要体質は静岡県警だけではない。例えば山口県で1954年に起きた一家6人惨殺の「仁保事件」も物証はなく拷問による自白のみで起訴されて死刑判決が出るも無罪となっている。