「歌舞伎役者で刺青をしている人を私は知らない」と明言し、「役者の身体は芸を支える神聖なもの。刺青を入れるのは侮辱に近い」と断じる。
また、舞台衣裳と化粧をしたまま居酒屋のような座敷に入り、さらにその格好で歌舞伎俳優同士が殴り合いをする場面についても「絶対に見たくなかった」と強く非難しているのだ。
〈歌舞伎俳優にとって衣裳や化粧は神事に関わるもの。それをしたまま喧嘩するなど、歌舞伎の倫理観から見れば大罪に等しい〉(ブログより)
歌舞伎関係者が言葉を継ぐ。
「猿三郎さんは作品内での過剰演出が歌舞伎を知らない層に誤解を与える可能性に懸念を示しており、『これを観た人が“歌舞伎の人たちってこうなんだ”と誤解したら困る』と苦言を呈しています。作品をきっかけに歌舞伎に興味を持ってもらえるのは良いことだとしつつ『事実とは異なるイメージが広まることは避けてほしい』と念を押しているのです」
他方、ネット上には猿三郎の意見に共感するコメントが相次ぎ、さらに次のような評価も散見される。
「音楽演出が過剰過ぎて、演技より音でごまかしている感じ」
「静寂がない。ずっと音と映像がうるさくて、バブル期のディスコ状態」
「やっぱり3時間は長すぎて映画館の椅子がつらい」
「キャストは素晴らしいがストーリーが尻すぼみだ」
「似たような顔の美形男子が多く、歌舞伎メイクしているので誰が誰か判らない」
「原作愛読者には、全体的に薄っぺらくて物足りない」
などと、痛烈な意見が多いのだ。
ストーリー展開を酷評する声も少なくない。女性の登場人物が途中で退散していくことに対し、厳しい言及が成されているのだ。
「男尊女卑を強調しすぎていて、現代社会的に理解に苦しむ」
「女性陣の描き方が奇妙で、ラストの娘役の言葉に血の気がひいた」
「女性視点の感情や葛藤をもっと深掘りすべき」
とどのつまり、現代の国際的な男女平等社会と逆行するような内容への不満の声が相次いでいるのだ。
極めつけは「こんな男社会の話では、国際的な映画賞では絶対に評価されない」という製作委員会にとって耳の痛い論評も多く聞かれるのである。
製作費12億を出したのは誰
「実は、『国宝』の製作幹事に名を連ねる会社について、様々な憶測が成されています」
映画『国宝』を巡って別の一側面に光を当てるのが、東宝に近い映画プロデューサーである。