梶原 右も左も極端じゃない人たちが真ん中で集まってくると、ちゃんと話をして現実の政治を動かしていくと思います。右でも左でも極端な人たちは、自分たちの仲間に向けて「この話についてはこの論調だぞ」っていち早く言うじゃないですか。誰かがこれはダメでこれが正解って言ったら、もう同じことを言わないと「この問題について黙ってる奴」みたいになっちゃう。そういう極端な一団を見て疑問に思ってる人が右でも左でもいると思うので、その人たちが主流になっていくといいんですよね。
――対話をしようと思ったら左右の端っこにいる人たちってもう諦めるしかないんですかね。
梶原 まあ諦めるしかないかもなあ……。でも対話を始めた人たちを見て面白いと思ってくれれば、端っこから移ってくる人もいると思います。
――最近ヘイトとかレイシストとか差別主義者という言葉が批判する際によく使われますが、これらの言葉の使われ方についてはどう思いますか?
梶原 そう言われてもしょうがない人が存在することは確かですけど、やっぱり仲間に「この人はレイシスト」って言ってる自分を見せたくて言ってる面もあるのだろうなと私は思うんです。だって効果がわかんないじゃないですか。「この人レイシストです」って言われたほうは別に直さないし、じゃあ何のために言ってるかっていうと、私はこの人を断罪できる人間ですっていうのを仲間に見せるためにやってるんだろうなと。「こいつは左翼だ」って言うのも一緒です。
――なんか、何も生まれないわけですね。
梶原 この間も林原めぐみさんのブログが「外国人が増えている」「外来種のアメリカザリガニに浸食されたように、日本人もやられてしまうかも」という主旨のことを書いて大炎上してましたけど、左派はザリガニのことだけ言うし、たしかにほかの国の人を外来危険生物になぞらえたのは間違いだと思うんですけど、右派は外国人が増えて日本人が後回しにされたら嫌ですよねって彼女が感じたんだからしょうがないじゃないかって、いつまでも一部分だけ取り出してこっちは良いこっちは悪いって全体を評価しないまま言い合ってるだけで意味ないじゃないですか。結局林原さんは悪いところは撤回したので、それは良かったんですけど。
――不毛な争い……。
梶原 林原さんの外国人に対する恐怖を「YouTubeで刷り込まれた実体のない恐怖だ」みたいに言ってる人もいたけど、でもそれに何らかの説得力を感じるってことは、何か思うところはあるんでしょうから、それを無視していいとは思わないです。クルド人問題とかも生活してる人からすれば、全然違う文化の人が大勢、1カ所に住み出したら不安でしょうし、ゴミの出し方一つ取ってもちゃんと教えてあげないと、日本人だって近所にゴミ出し間違ってる人いたら困るじゃないですか。実際に感じている恐怖や迷惑まで「レイシストだ」って潰されちゃうと、潰された人たちは立つ瀬がないから本当にレイシストの人たちと手を組んじゃいかねない。
――はっ、そうか。そうなりますね。