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よしもとよしともインタビュー 描いてきた時代と『青い車』を語る

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よしもと じゃあ宅録しようって思ったけどリズムマシンがなかったので、友達に暑中見舞いで4コマ漫画を描いて送ったら「面白いな」って言われたのを思い出して、漫画を描いて賞金で買おうと思って。ちょうどKADOKAWA(当時の角川書店)の『ASUKA』が「新しい雑誌だから新人ほしいんじゃないの」って兄(漫画家の石渡治)に言われて、入賞したら賞金も4万円だか5万円だかもらえるってことで、軽い気持ちで応募してみたんです。

――それがいきなり入選してデビューされたんですね!

よしもと 4コマだけじゃなあと思って、短めのわかりやすいのとわかりにくいシュールなストーリーものも描いてまとめて送ったんですよ。送る時に、落ちたら要らねーしと思って「要返却」に丸をしなかったら「入選です」って電話がかかってきた時に「要返却に丸しなかった人、初めてだよ!」って言われて、そこが面白がられたのかよって(笑)。

――それでリズムマシン買ったんですか?

よしもと 買いました。その時点で大学4年生で、まだ漫画家でやっていく気持ちも全然なかったんですけど、就職模擬試験とか受けてみてもさっぱりわからないし、そもそも単位足りないから大学卒業できないし、どうしよう、とりあえず漫画で稼ぐかと。バブルだったしね。

――当時は出版社も羽振り良くてすごかったらしいですね。

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よしもと 打ち合わせや取材と称して、あっちこっち連れて行かれました。おかげでデビューしてからいろいろ勉強しました。『ASUKA』の編集部に俺の担当でも編集長でもない、裏で仕切ってる年上の編集さんがいたんですけど、その人が「お前もっと社会勉強しなきゃダメだよ」っていろんなところに連れ回してくれて、「なんではとバスに乗るの?」「なんで六本木のディスコにいるの?」みたいな。その人が年上の漫画家さんを呼んでくれて、その人たちからも「これ読んだほうがいいよ」って漫画や小説を教えてもらったり。その影響がいまでもすごいでかくて、自分の原点みたいな感じになっています。

――教わった作品の中で具体的に印象に残ってる作品はありますか?

よしもと 五味康祐の『秘剣・柳生連也斎』って昭和30年代の小説には、めちゃくちゃ影響を受けました。しかも実際に読む前にその編集さんが「あらすじ話してやるから」って説明してくれて「俺がめちゃめちゃ好きなやつじゃないか!」とあらすじだけで鳥肌立ちました。

――世の中って常に変化していきますけど、それを漫画表現に落とし込む時ってどうされていますか?

よしもと デビューした頃に年上の漫画家さんと飲んでいる中で、やっぱり俺もいろんな社会問題を描こうとした時に答えが出なくて、どうやって描いたらいいんだろうって話してたら「お前バカか」と言われて「起きてることそのまま描けばいいじゃん」って。

――それはものすごく大きなアドバイスですね!

よしもと そう。答えは読者が出せばいいんだよって。だから基本はそう思ってるんだけど、そのまま描くにしても、いまは現実があまりにもすごいスピードで進んできちゃってて、壊れ方が半端じゃないっていうか。難しいですね。

――とはいえ、漫画には世の中の流れも反映していきたいですよね。

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