よしもと やっぱり漫画ってジャーナリズム的なところがあるって俺は思ってるんで、コロナ禍に描いた「OHANAMI 2020」はすごいベストだったんです。コロナってそれ自体が批評になっていたから、起きていたことをただそのまま描くだけで、日本という社会の正体がバレてた。でもロシアとウクライナの問題が生じた時に、それに呼応する形で長編のネームをほとんど書き上げてたんですけど、細かいところを詰めているうちに今度はイスラエルとガザの問題が起きちゃって中断してしまったんです。
――その時代で起きていることと、よしもとさん自身の体験と、出版社からの依頼がバチッとハマるタイミングっていうのがあるんでしょうね。
よしもと ありますね。「青い車」の時もたぶんそうだったんでしょうね。
連載を後押ししてくれた存在
――「青い車」はもともと講談社の漫画誌に掲載された漫画ですが、最初にイースト・プレスから単行本が出たのは講談社的に大丈夫だったんですか?
よしもと 「青い車」が載った講談社の『別冊少女フレンド』の増刊『Girly』って、いま見るとすごい執筆陣なんですよね。表紙とか大友克洋さんなんですけど、雑誌としては全く売れなかった。そういうのもあってうちで出そうみたいな感じではなかったんでしょう。
――イースト・プレスは『COMIC QUE』でも縁がありますもんね。
よしもと 大手からも声はかかるんですけど、向こうが望んでいるものとこっちの描きたいものがずれちゃうので、こっちが描きたいことを優先してやらせてくれるところで描いてきました。4コマもデビューしてすぐ飽きちゃったんですけど「時代劇描きたい」って言っても、みんな4コマを求めてるから「誰も読みませんよ」とか言われたり、何か新しいことをやろうすると「えー?」っていう編集者の反応が多いんですよね。
――たしかに自由にやらせてくれるところがいいですよね。
よしもと でも『COMIC QUE』でも黒田硫黄君と合作したいって言ったら「え! 絵柄が全然違うじゃないですか」って言われたり。だけど制作過程で「うわ、すげーのができてるぞこれは」って感覚があって、実際に発表したら読者は驚愕したみたい。
――時代劇にも『レッツゴー武芸帖』で挑戦されていますよね。
よしもと 80年代に双葉社で連載が始まったんですけど、その20年後くらいに当時の担当編集者に会って、当時京子ちゃんが「よしともくんを絶対に載せないとダメだよ」ってすごく推してくれてたってのを教えてくれたんですよね。なんでそんないい話をいま! と(笑)。