PR
PR

千鳥・大吾の酒のつまみにもならない小物感

エンタメ
エンタメ社会
PR
PR

「M-1で決勝進出した実績は吉本のゴリ押しでしたよ。当時のM-1はまだ始まったばかりで吉本興業の影響力が強かった。予選の審査員は吉本系の放送作家が大量に入っていて、準決勝まで吉本が推す芸人が優遇されていましたからね」(前出・スポーツ紙記者)

フジの『ピカルの定理』でレギュラーに抜擢され東京進出して以降もほとんど爪痕を残すことができず、番組もわずか5カ月で打ち切りになっている。以降、千鳥はなかなか東京にハマることができず暗黒時代が続いていた。地方局のローカル番組や吉本芸人のバーターでかろうじて露出することで延命しており、当時はまだ千鳥の「じゃない方芸人」だったノブが本気で「ノブ小池」に改名するなどあがいていたのは周知のとおりだ。

「千鳥がテレビで知名度を上げることができたのは、高視聴率番組だった『アメトーーク!』で東野幸治が『帰ろっか……千鳥』という持ち込み企画をやってくれたおかげです。東京でハマらない千鳥をネタに、腕ききの共演芸人たちが寄ってたかってイジり倒した結果、ノブの『クセがすごい!』のワードがブレイクしたんです」(前出・スポーツ紙記者)

その後に起用された番組の現場でもノブが独特のツッコミで大悟のボケを翻訳することで千鳥の笑いがウケはじめるようになった。つまり千鳥のブレイクはノブの言語センスと器用さ、そして的確な間合いによって支えられた結果であり、大悟単体では通用しなかったのだ。これは浜田なしでも圧倒的な存在感を見せ続けた松本との大きな違いである。

PR

昭和から続く芸人の悪習

にもかかわらず一部のお笑いファンや業界関係者の間では、いまだに「松本がテレビから消えた今、最も松本的な笑いを体現している芸人」と評価されることもある。

タイトルとURLをコピーしました